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薬物乱用予防教育の具体論

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1. はじめに

 1998年1月、警察庁は、日本が「第三次覚せい剤乱用期」に突入したことを宣言しました。この問題に対する危機感が、政府や各機関の上層部で非常に深刻に捉えられ、21世紀の我が国の存立と未来に関わる重大な問題だとされている一方で、一般市民、それどころか現場で日々この問題と対峙すべき、各地方自治体の職員や教師の問題意識は希薄であり、この薬物の問題を、一部の限られた地域の限られた人々の問題としてしか捉えていません。

 なぜ、今回の「第三次覚せい剤乱用期」は、私たちの日本の存立や未来に関わる重大な問題なのでしょうか。それは、ただ一つの理由によります。すなわち、私たちの社会の明日を担う若者たちに、覚せい剤を中心とする薬物の乱用が急速に広まっているからです。この問題に取り組んでいる私たち専門家の間でよく言われることがあります。それは、「大人の薬物乱用者は怖くない、所詮は点であり、あまり汚染が広がらない。しかし、若者の薬物乱用は怖い、その若者の周辺を汚染しつくす」ということばです。大人は、賢くまた失うことを恐れる地位や家族を持っています。仮に薬物を乱用したとしても、それを安易に友人や知人に勧め広めることはしません。それは、逮捕される可能性の高い危険な行為であると知っていますから・・・。しかし、若者、特に十代の若者は、集団を作り、その仲間たちと行動します。その一人に薬物が流入すると、必ずと言っていいほど仲間たちに乱用を勧めていきます。そして、あっという間に集団全員が汚染されていきます。私たち専門家は、このことをこう呼んでいます。「若者の薬物乱用は、伝染病である」と・・・。まさにここに、この「第三次覚せい剤乱用期」の怖さがあります。
 今や、中高生を中心とする十代の青少年の薬物汚染の問題は、大きな社会問題となり、私たち教育の現場においても避けて通ることのできない問題となっています。いくつかの中学生や高校生に対するアンケート調査の結果を見ても、多くの青少年が薬物の魔の手が身近に迫ってきていることをはっきりと認識しています。たとえば、神奈川県藤沢市が1998年に実施した調査でも、高校生の10.2%、中学生の2.6%、小学校5・6年生の0.9%が、友人に薬物を乱用するものがいると答えています。これは、みなさんにとってどのような数値でしょうか。多分驚くべき数値でしょう。しかし、この問題に取り組んでいる人間から見れば、地方都市レベルのあるべき数値であり、私たちは、東京・大阪・横浜等の大都市部では、この2倍以上の数値となるのではないかと考えています。
 しかし、その一方で、社会のこの問題に対する意識は希薄であり、多くの人たちが、一部の地域の一部の若者たちの問題としてしか捉えていません。私の所属する教育現場についても、同様のことが言えます。本来、生徒たち一人一人に、薬物を自ら拒む力を育てるべきであるにもかかわらず、ただ、声を大にして「薬物は怖い、絶対に近づいてはならない。人間を止めることになるぞ。」と叫んでいるだけではないでしょうか。
 今や、若者たちはテレビや雑誌、本などの様々なメディアから、薬物に関する多くのいい加減な情報を手に入れています。しかも、それらの情報のほとんどは、興味や関心を煽り、薬物を試してみたくさせるような内容です。そして、若者たちの周りには、様々なドラッグが、その魔の手を広げています。
 あらゆる薬物の乱用は、「依存症」という、多少の回復は見込めても、生涯治癒することのない病を、乱用者にもたらします。その回復には、乱用期間の数倍の時間と優秀な治療者・介助者、そして何より乱用者本人の意思を必要とします。今、私たちに求められているのは、いかに乱用を防ぐかです。この意味で、きちんとした予防教育を、小学校段階から展開していくことが、求められています。以下の論文では、あるべき薬物乱用予防教育について、書いていきます。

2. これまでの予防教育の問題点

 1998年に、当時の文部省より全国のすべての高等学校で薬物乱用予防教育を実施するように指示がでました。その後、1999年には、全国のすべての中学校で、翌2000年には、全国のすべての小学校で5・6年生を対象として、薬物乱用予防教育を行うように指示がでました。この指示では、年間最低一回の警察官や薬剤師あるいは保健所職員等の専門家による薬物乱用防止教室の実施、また「保健」の授業での予防教育の展開が、求められていました。しかし、実際の教育現場での反応は鈍く、小学校においては、ほとんど実施されておらず、中学校においても、ごく一部の学校が取り組みはじめたという段階であり、高等学校でさえも、まだ実施していない学校が、たくさん存在します。この背景には、「私の学校では、覚せい剤のような薬物を使う生徒はいない」という盲信があります。本当にそうなんでしょうか。私のもとには、全国各地の中学生・高校生の親たちや本人からの相談が、ほとんど毎日のようにあります。北は、北海道から南は沖縄まで、相談を一件も受けていない県は、残念ながらありません。これが現状なのです。
 それでは、どうしてこのようなことになってしまったのでしょう。それは、薬物乱用予防教育に携わる教師自身の薬物に対する誤った知識に原因があります。日本の薬物乱用予防教育は、これまでずっと、この有名なことば、「だめ、絶対。一度やったら人間を止めることになる」が端的に表している「脅しの予防教育」を行ってきました。当然のことながら、現場の教師のほとんどすべてが、薬物に対してこのイメージを植え付けられており、薬物特に今回の乱用期で中心的な薬物となっている覚せい剤を乱用した生徒は、授業中叫んだり、他の生徒に対して無意味もなく暴力を振るったり、自称行為をしたりと、何らかの異常な症状がでるものと信じています。しかし、薬物はそのように単純なものではありません。確かに、長期の乱用では、一定期間の経過後にほとんどの場合、何らかの精神的に異常な事態が起こりますが、数ヶ月から数年に渡り通常の生活を続けながら、家族や周囲の人々に気づかれることなく覚せい剤の乱用を続けるケースも少なからず存在します。
 また、多くの教師の意識の中に、この薬物問題は、各関係取締機関がきちんと、その密輸や密売を取り締まるべき問題で、自分たちの問題ではないと考えていることにも原因があります。しかし、現状ではこれが不可能であることは、だれもがすぐ理解できることです。そうである以上、関係機関には、さらに取り締まりに努力してもらうとして、教育の現場でも、生徒たちに、薬物の本当の姿を知らせ、誘われても自らそれを断ることのできる生徒を育てることが急務です。

3. 予防教育のあるべき姿

 それでは、このような現在、求められている予防教育は、どのようなものなのでしょう。私は、すでに日本各地で500回以上にわたり、小学生や中高生、一般の方等に講演や公開授業を通じて薬物乱用防止教育を行ってきました。その経験から、私は、以下の点をきちんと教えることが重要だと考えます。
 
①薬物は、依存性を持つ。
 
 薬物は、どのようなものでも、その性質上またそれがもたらす異常な快体験から、再度乱用したいという強烈な欲求が生じてしまいます。その結果、薬物なしではいることができないという依存症に陥ります。この依存症には、薬物再乱用への強い渇望感や欲求という形で現れる精神的依存と、しびれや震えなど何らかの肉体的症状が伴う身体的依存がありますが、いずれも、人間の自制心や意志の力など吹き飛ばしてしまうほど強力なものです。この依存症からの回復には、乱用者本人自身の強い断薬への動機と、専門家による適切な介入や指導・治療が要求され、多くの困難を伴うことをきちんと教える必要があります。
 
②薬物を乱用することは、犯罪である。
 
 薬物は、法律によってその乱用が、禁止または制限されている物質です。ヘロイン・覚せい剤・コカイン・大麻・シンナー等の禁止薬物については、「薬物五法(「あへん取締法」・「麻薬及び向精神薬取締法」・「大麻取締法」・「覚せい剤取締法」・「毒物及び劇物取締法」)の関係する条文、特に罰則規定を用いて、所持・使用・密売した場合それぞれどのような罪となり、どのように罰せられるかを、きちんと教える必要があります。また、これらの禁止薬物以外にも、その使用が法的に制限されている薬物があることもきちんと伝える必要があります。たとえば、たばこやアルコールは、年齢による制限が行われており、未成年者がこれらを使用することは、それらを販売あるいは勧めた成人が厳しく罰せられる犯罪行為になります。「未成年者喫煙禁止法」・「未成年者飲酒禁止法」の条文をきちんと教える必要があります。医者から処方される薬も、医師の指示に従い医師から処方された本人が使用する場合は、何の問題もありませんが、それを他人に譲渡したり、処方に従わず一度に多量に摂取することは、「薬事法」に反する立派な犯罪行為であることも教える必要があります。
 
③薬物は、「微笑みかける天使の顔」と「死神の顔」という二つの顔を持つ。
 
 これまでの薬物乱用予防教育は、ともするとこれまで、「一度やったら人間を止めることになるよ」などと薬物に対する恐怖を植え付け、脅しでその乱用を予防しようとする傾向が顕著でした。しかし、この方法では、薬物に関する多様な情報、特に乱用を煽るような間違った情報が、様々なメディアから発信されそれらに多くの若者たちが触れている現在では、意味がありません。薬物の怖さは、それが何の努力もなしにただ使うだけで猛烈な快感をもたらすことにあります。この世の中で、幸せや喜びは、何らかの努力なしには手に入りません。しかし、薬物は、吸うにしろ飲むにしろ注射で打つにしろ、使いさえすれば、すべての嫌なことを忘れさせてくれ、そして猛烈な快感や多幸感を乱用者にもたらします。私たち専門家の間でよく言われることがあります。「薬物は、まじめな人間ほどまじめに使って死んでいく」、「薬物は、心に傷のある人間ほどその心の傷を埋めるためにはまり死んでいく」私は、授業や講演では、次のように教えています。「薬物は、二つの顔を持ちます。一つ目の顔は「微笑みかける天使の顔」です。薬物は、どのようなものでも使いさえすれば、快感を手に入れることができます。しかし、この一つ目の顔と同時に二つ目の顔が現れます。それは、「死に神の顔」です。薬物はその性質上乱用すれば止めることができなくなります。そして、乱用を続ければ、乱用者に三つの死(心の死・頭の死・からだの死)を順番にもたらします」
 
④薬物の乱用は、その乱用者自身に一生消すことのできない障害を残し不幸にするだけでなく、その乱用者を愛するものすべてを不幸へと導く。

 薬物乱用が、他の犯罪と比べいともたやすく広がっていくことには、一つの原因があります。窃盗や強盗、傷害や殺人など通常犯罪には、必ず被害者がいます。しかし、薬物乱用は、通常被害者をもちません。そのため、「薬物を乱用してもだれに迷惑をかけるわけではない、たとえ薬物で自分がおかしくなっても、それは自分個人の問題である」という考え方が、多くの人たちに見られます。これを、薬物自己責任論といいます。しかし、本当にそうなのでしょうか。薬物の魔の手に捕まってしまうと、乱用者にとって薬物が人生のすべてとなります。ある親は、シンナーを乱用し続ける我が子を警察に捕まらせたくないという一心で、自らが新宿に行きシンナーを手に入れ、子どもの乱用を手助けしていました。数年後、この親のしたことは、シンナーを吸いふらふらになっている我が子の首に手をかけることでした。私のところには、年間数百件の乱用者の家族からの相談があります。どのケースでも、家族たちは本人以上に疲れ切っており、せっぱ詰まっています。薬物乱用が、本人だけでなく、愛する人、愛する家族を不幸にすることをきちんと教えていくことは、予防教育において重要です。

⑤薬物依存症は、愛や罰では救うことのできない「病」である。

 これは、特に女子の児童や生徒にきちんと伝える必要があります。それには、理由があります。女子の児童・生徒の場合、自分自身が薬物を乱用しなくても、乱用者の恋人を持ったり、あるいは結婚した最愛の夫が乱用したりというケースがあります。そのような際、多くの人は、自分の愛で愛する人を薬物の魔の手から救おうとします。しかし、薬物依存症は、立派な病気です。果たして病気を愛の力や罰の力で治すことができるのでしょうか。かぜをひき42度の熱をだした我が子を抱きしめて熱が下がるのでしょうか。あるいは、お前の日常の過ごし方が悪いと叱って熱が下がるのでしょうか。ともすると、薬物乱用者に関わる教師や親、特に乱用者を愛する人は、自らの愛で彼らを立ち直らせようとします。しかし、このような愛は乱用者の回復にとって、害こそあれ何の益にもなりません。多くの場合乱用者は、まだ自分は見捨てられていないと安心し、乱用を続け死んでいきます。それどころか、最も愛する人を、たった一回分の覚せい剤と交換に売人に渡した若者もおりますし、薬物代のために愛する人に風俗店に売られ、一生消えることのない傷を、からだと心に負った女性も、私の回りにはたくさんいます。薬物依存症は、人の意志や愛でどうこうできるような病気ではありません。乱用者本人の断薬への強い動機のもとで、適切な医療機関による治療と適切な専門家による介入があって、はじめて回復への第一歩を踏み出すことのできるものです。そうでない限り、乱用者の行き着く先は、運がとても良くて、刑務所・少年院。国家の費用で三食を口にし、刑務所・少年院では、少なくても薬物を乱用することはできませんから、多少は回復して愛するもののもとに戻ることができます。運が、中ぐらいに良くて一生精神病院。愛する人に骨を拾わせるという哀しみを味わわせなくてすみます。しかし、ほとんどの場合は、土の中なのです。

⑥薬物を乱用することは、その一回一回が、脳や神経系を破壊することであり、人間の脳や神経系は、一度破壊されると二度と元に戻ることはない。

 薬物は、どのようなものでも、直接脳に作用して、一回一回の乱用が脳の神経系を破壊していきます。そして、脳や神経系は一度破壊されれば、二度ともとには戻ることがありません。薬物による脳への影響は、多少回復させることはできても、治癒することのない一生背負い続けなければならない障害を、乱用者にもたらします。大麻のようなライトドラッグ(軽い薬物)ですら、乱用者を無気力な人間にしてしまい、その後の人生に大きな影を投げかけますし、覚せい剤やシンナーは、一生続く偏頭痛や精神の不安定さ、また突然再発するフラッシュバックを乱用者の未来にもたらします。

4.おわりに

 今や、若者たちは、薬物についての誤った情報や薬物乱用を煽る情報に日常的にふれています。それどころか、薬物自身が、青少年の周辺に溢れ、日本の青少年の何割かが人生の中で薬物と出会う状態となっています。このような中で、私たちに求められている予防教育は、これまでのような「脅しによって、薬物に対する恐怖心を植え付け、薬物から青少年を遠ざける」方法ではありません。予防教育に携わる人自身が、きちんと薬物についての知識を身につけ、それを青少年に、特に小学生段階から何度も繰り返し伝えていくことが今求められています。

参考文献
・ 水谷修:さらば、哀しみのドラッグ、高文研、1998
・ 水谷修・生徒ジュン:さよならが、いえなくて、日本評論社、2000
・ 水谷修:薬物乱用---いま、何を、どう伝えるか、大修館書店、2001
・ 水谷修:さらば、哀しみの青春、高文研、2003年

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