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ドラッグのウソ、ホント

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 今ちょっと大きい書店に行くと、ドラッグについての本や雑誌が必ず何冊か並んでいます。その中の多くの本や雑誌は、みなさんにドラッグに興味を持たせるような内容のものです。それらの中にはドラッグの乱用をあおるようなものまであります。
 私はそれらの本のほとんどに目を通してみました。多くはその本を書いた人間の良心を疑うような内容のものばかりでした。また、若者がその内容を信じてしまったらと考えると、恐ろしくなるようなものでした。
 一方、数は少ないですが、ドラッグの害について書かれた本もあります。ただ、多くは「ドラッグはともかく恐いものだ。だから、絶対に手を出してはダメ」と、ドラッグに対しての恐怖心をみなさんに持たせる内容のものが多いようです。本当のドラッグの姿はどのようなものなのでしょうか。
 私が、特に気になった内容について、本当にそうなのか、一緒に考えてみましょう。私の限られた経験からですが、決して大げさに書いたり、嘘を書いてみなさんを脅したりせず、本当のことを、きちんとみなさんに伝えていきたいと思っています。

◆Q.「すべてのドラッグが危険というわけではない」    これは本当でしょうか?

 ドラッグ関係の本には、
 「すべてのドラッグが危険というわけではなく、ドラッグの中には安全にかつ楽しくつきあえるものがある」
 という考えがいたるところに見えます。これは本当でしょうか。
 これは確実に間違っています。極端な反論の仕方ですが、これらの本を書いた人間にこう聞けば、彼らは何と答えるでしょう。すなわち、
 「ドラッグの中にからだに良いものがなにかありますか」
 と。
 二〇歳を過ぎれば、喫煙が認められているタバコについて考えてみましょう。みなさんの周りにお年寄りで、若い頃からタバコを吸っているのに元気な人がいると思います。これはあくまで運が良かったからだということを忘れないでください。この人が肺ガンにならなかったことはたまたま運が良かったからなのです。
 今や、タバコが高い確率で肺ガンを引き起こすことは常識となっています。このごろ一部の生命保険会社がタバコを吸わない人の生命保険料を安くした生命保険を売り出しました。このことを見てもタバコの危険性がわかると思います。
 また、タバコを吸う人が多くのものを一生の中で失っていることも忘れてはなりません。たとえば、体力や味覚、嗅覚を、タバコは確実に奪っていきます。
 また、すべてのドラッグは、その強さにはものによって程度の差がありますが、必ず依存性という性質を持ちます。すなわち、それなしではいられなくなるという性質があります。精神科の医師たちはこれを依存症という病気とみなします。つまり、自分の意志でなんとかできるようななまやさしい依存ではなく、何らかの治療やケアを受けることなしには断ち切ることのできない病気とみなします。この性質だけでも、あらゆるドラッグは危険なのです。
 また、すべてのドラッグは私たちの脳や神経に不自然な刺激を与え、それを麻痺させたり、一部破壊したりします。そして、前にも書きましたが、私たちの脳や神経組織は、一度壊れれば再生することのできないものなのです。これでも、ドラッグに危険ではないものが存在するのでしょうか。
 普通の薬のことを考えてみてください。普通の薬ですら、私たちは病気になったとき、その病気に効果のある薬を決まった量、決まった期間だけ使用します。病気でもないのに薬を飲む人はいないでしょう。それは、薬というもの自体が「毒をもって毒を制する」という発想で作られたものだからなのです。
 よく安全なドラッグと言われているものに、タバコやアルコール、マリファナなどがあります。本当に安全なのでしょ。うか。みなさんが結婚して、かわいい赤ちゃんが生まれたとき、その赤ちゃんにこれらのドラッグを使ってみますか。「赤ちゃんは小さいから、大きくなれば違う」という人もいるでしょう。しかし覚えておいてください。赤ちゃんも私たちと同じ人間です。違いは大きさだけです。赤ちゃんの場合、からだが小さいため、ドラッグの害が私たちより何倍も大きく現われるだけなのです。
 わたしはあえてこう言います。
 「ドラッグのみならず、すべての薬は危険なものである」
 と。

◆Q.「ドラッグには安全な使い方がある」    これは本当でしょうか?

 一部の雑誌や本では、多くのページをさいて一部のドラッグの「安全」と称する使い方について説明しています。本当に依存症や中毒にならない「安全な使い方」はあるのでしょうか。
 まず言えることは、完全に安全な使い方はないでしょう。ただ、ドラッグの種類によっては、老人になるまで何とか死人や廃人にならないで生きていける使い方は存在するでしょう。本当は、私はこのようなことは書きたくないのですが、みなさんに嘘をつくことはできません。
 たとえばアルコールです。その人の体質にそった適量を、適度な間隔をあけて飲酒していけば、アルコール依存症やアルコール中毒になることはありません。しかし、みなさんに尋ねたいのですが、みなさんはこのようにきちんと自己管理できる自信がありますか。
 よく、アルコールについて「酒は百薬の長」と言われます。私はこのことは否定しません。確かに、酒が心をリラックスさせてくれたり、疲れをとってくれたりすることはあります。しかし忘れないでください。このことばには「されど万病のもと」ということばが続くことを。
 みなさんに魔の手をのばしている覚せい剤についても考えてみましょう。私が今、関わっている若者で、一人だけ、七年にわたり覚せい剤を乱用し、ちょっと前まで元気に社会人として生活していた青年がいます。私が今までに関わった覚せい剤乱用者の中で。最も長く乱用していました。彼は、覚せい剤を止めるようにという私からの忠告に、
 「先生、俺は大丈夫。使うのはたまにだけ。ちゃんと依存症にならないように自己管理して安全に使っているよ」
 と言っていました。
 しかし、幸運にも、彼は友人が覚せい剤所持で警察に捕まり、彼の名前をあげたことから、今は拘置所で裁判を待っています。この「違法」という意味でも、ドラッグは安全なものではありません。
 「ドラッグには、多少他の人より長く使える使い方がある」
 これなら、私は否定しません。でも死への道のりが多少違うだけです。

◆Q.「ドラッグはすべて気持ちの良くなるくすりである」    これは本当でしょうか?

 正直に言って、これは本当です。ただ一部のドラッグは、使い方を間違えたり、アルコールなどの他のドラッグと併用すると「バッドトリップ」(気持ち悪くなったり、不快な幻覚をみたりすること)することがあります。また体調によっても「バッドトリップ」することがあります。
 しかし、この書き方は嘘ではないけれど、不十分な、人をだます書き方です。すなわち、どのようなドラッグにも気持ちよくなった後に地獄が待ちかまえているのです。 一つの例をあげましょう。みなさんは、汗をかいた後にシャワーを浴びたり、お風呂に入ったりした経験があると思います。その後は非常にすっきりとした爽快な気分になったと思います。しかし、ドラッグはどのようなものでも、その効果が切れるとけだるい倦怠感や不快感を乱用者にもたらします。このため、再度気持ちよくなることを求めて乱用を繰り返すようになり、依存症という死への一歩を踏み出してしまうのです。
 ドラッグがもたらす気持ちよさは、偽の気持ちよさです。ドラッグが脳を狂わせて、乱用者にそう思わせているだけなのです。たとえば、痛み止めの薬を思い出してください。痛み止めの薬は痛みの原因を治療しているのではありません。ただ、痛みを感じる脳の部分を麻痺させ、痛みを感じなくさせているだけです。ですから痛み止めの効果が切れれば、痛みは再度襲ってきます。
 私は、これは心からの私の願いですが、みなさんに本当の気持ちよさを手に入れてほしいと考えます。たとえば、努力し苦労して何事かを成し遂げたときの達成感や、何事かが満たされたときの満足感を手に入れてほしいと思います。ただ忘れないでください。この世の中では、本当のものは努力しなければ、決して手に入りません。

◆Q.「ドラッグは一度くらいなら使っても大丈夫である」     これは本当でしょうか?

 よく、「一回ぐらいは」とか、「一回だけなら」ということばを若者から聞きます。私は、嘘をつきたくはありませんから、本当のことを言います。確かに、一度ぐらいなら肉体へのその影響がほとんどないことは事実です。
 しかし、一度ですまないのがドラッグの恐さなのです。ドラッグが私たちにもたらす快感は正常なものではありません。一度でもドラッグを乱用すれば、その快感の体験が脳の記憶中枢に刷り込まれてしまいます。
 私の知っている若者で、好奇心から一度だけと覚せい剤を乱用した若者がいます。彼はそれから半年後に、友人から目の前に覚せい剤を見せられ。「一緒にやろうぜ」と勧められました。彼は「やばいなあ」と最初は思ったそうです。でも、
 「もう一回ぐらい大丈夫」
 そう考え、その覚せい剤に手を出しました。そして、おきまりのコースです。今、彼は薬物依存者の自助グループに通っています。彼はこう言っています。
 「俺は昔から意志の強いほうだったから、覚せい剤を使うたびに、今度が最後って自分に言いきかせてたんだ。でもだめだった。先生、あれは意志でどうのこうのできるもんじゃないよ」
 こう憶えておいてくれるといいでしょう。ドラッグを一度でも乱用したならば、必ず、ドラッグをもう一回使いたいという強い欲望が生じます。その欲望と一生たたかい続けなければならなくなります。そしてドラッグの種類によっては、このたたかいに勝つことは非常に困難なことなのです。

◆Q.「ドラッグはストレスを解消させてくれる」    これは本当でしょうか?

 これは間違いなく本当です。ただし、正確にはこう言うべきです。
 「ドラッグは乱用すれば、一時的にストレスを忘れさせてくれる。しかし、ドラッグが切れれば、ストレスは何倍にもなって返ってくる」
 先ほども書きましたが、ドラッグはストレスを単に一時的に忘れさせてくれるだけです。ストレスの原因を取り除いてくれるわけではありません。ですから、ドラッグが切れれば、そこには依然としてストレスのもとが残っているのです。しかも、「自分は弱い人間で、ストレスからドラッグの力で逃げようとした」という新たなストレスのもとと共に。
 たとえば、みなさんが友人と喧嘩をしたとします。その時に友人から言われたひどいことばに傷つき、その夜アルコールを飲んでカラオケで大騒ぎをし、いい気持ちになったとします。確かに、アルコールの酔いが効いているうちは、嫌なことを忘れ、幸せになれるかもしれません。でも翌日、二日酔いで、前日喧嘩した友人と会ったとします。二人の関係に変化が生まれるのでしょうか。結局、嫌なことを忘れ続けるためにはアルコールを飲み続けるしかないのです。これが肉体的に不可能なことは、すぐわかってもらえると思います。
 ドラッグの依存症になった人には、私の経験から言って心の優しい傷つきやすい人が多いです。それはまさに、自分の心の傷をドラッグで癒すことを繰り返し、依存症となってしまうからです。

◆Q.「ドラッグの依存症になる人間は弱い人間である」    これは本当でしょうか?

 私はある雑誌でこの文章を読んだとき、この文を書いた人間の傲慢さにあきれ果て悲しくなりました。私には、ドラッグ依存症に苦しみながらたたかっている数多くの仲間がいます。彼らは決して、人間として弱い人間ではありません。みなさんとまったく同じ人間です。どんな人間でもドラッグを乱用すれば、その魔力によって弱い人間にされてしまうのです。ドラッグを相手にして強い人間など存在しません。
 私が今、私のドラッグ汚染とのたたかいで、兄のように尊敬し、慕っている人がいます。彼はダルクと呼ばれる薬物依存症者の自助グループのリーダーの一人として、日々ドラッグとたたかっています。
 彼は二〇代で暴力団の組長となり、数十人の組員を動かしていたほどの男です。今の彼からも、その度胸と意志の強さは十分にわかります。その彼がたまたま友人に勧められ、売り物の覚せい剤に「一回ぐらいは」と手を出してしまったそうです。そして彼は、それから十数年、覚せい剤の魔の手に捕らわれました。彼は自分の「組」も、何もかも失い、どん底まで行き着き、ダルクに救いを求めました。そして、ダルクの仲間とともに依存症とたたかい、現在を迎えています。
 彼は今、多くのさまざまなドラッグの依存症の若者たちとともに生活し、彼らの更生のためにつくし、その一方で、中学校や高等学校などで年間二〇〇回前後の講演を行なっています。そして、多くの若者たちにドラッグの本当の姿を、自分の体験を通して語っています。意志の弱い人間にこのようなことができるでしょうか。
 これは彼の、人生を破壊したドラッグヘのたたかいであり、また、彼自身のドラッグを「また乱用したい」という欲望とのたたかいのように私には見えます。そして間違いなく、彼のこのたたかいに終わりはありません。彼が生きている限り続いていきます。
 彼が私によく、こう言います。
 「先生、意志の強いやつは病気にならないかい? 意志の強いやつは病気を意志の力でなおせるかい? 無理だろ? ドラッグも同じさ。どんな意志が強いやつだって、一回でもハマってしまえば逃げられない。これは病気なんだ。使い続けなきゃいられない、依存症という病気なんだ」
 私は彼のこのことばがよくわかります。
 すべてのドラッグは、その依存性(ドラッグなしではいられない)という魔力で、あらゆる人から意志の力(何かを自分で決める力)を奪います。ドラッグの前に、私たち人間はあまりに弱く小さな存在なのです。

◆Q.「ドラッグを使うとやせることができる」    これは本当でしょうか?

 これはビールなどの一部のアルコール飲料を除いて、確実に本当です。あらゆるドラッグは、食欲を減退させます。特に覚せい剤は「やせ薬」として密売されているほど、極端にかつ短期間に乱用者をがりがりにします。覚せい剤を乱用すると、胃が縮み、食べ物が取れなくなるからです。
 しかしドラッグは、女子高校生が望むようなやせ方はさせてくれません。だいたい頬や手足の肉から次第に落ちていき、次に胸、最後に腹という具合に、かえって乱用者を不格好にしてしまいます。また、ドラッグの乱用を止めれば、以前より太ってしまうことが多いのです。これでもドラッグを使ってやせようと考えますか。
 簡単なことですが、人間は誰でも食物を取らなければやせます。覚せい剤などのドラッグを、別に高いお金を出して買わなくてもやせることはできます。ただし、必要以上に無理にやせようとすれば、確実にからだを壊し、病気になりますが......。
 また、ちょっと大変ですが、適度に栄養をとり、適度な運動を繰り返していくことで、自分の体重と健康を管理することができます。これならば、からだを壊すこともなく、健康的にやせることができます。
 私は今、やせるための三つの方法を書きましたが、みなさんはどの方法を選びますか。当然、三つ目の方法を選んでくれると信じています。
 ところで、念のため付け加えておきますが、私は、別にやせていることが美しいなどと思ったことはありません。一人ひとりの人間には生まれながらに持っているあるべき姿があり、それこそがその人の美しさだと考えています。また、私にとっては、からだの美しさより心の美しさのほうが数段大切なものです。
 みなさんにとってはどうですか。

◆Q.「ドラッグなんてすぐ止めることができる」    これは本当でしょうか?

 これは完全な嘘です。私は今まで数十人のドラッグを乱用した若者たちと関わってきましたが、彼らがドラッグを止めるためにどれだけの苦しみと哀しみを味わったかを知っています。また、まだ止めることができず、乱用を繰り返している若者も決して少なくありません。
 彼らが私に、よくこう言います。
 「先生、ドラッグを止めることのできる薬ないかなあ」
 残念ながら、そんな薬は存在しません。すべてのドラッグは一度でも乱用すれば、そのドラッグを再度乱用したいという強い欲求を乱用者にもたらすからです。この強い欲求に打ち勝つことができれば、ドラッグを止めることができるのですが、この欲求の強さは並のものではありません。そのため、まずほとんどの人が乱用を繰り返し、依存症となっていきます。
 そして、依存症となってしまえば、その段階では自らの意志でどうのこうのできる状態ではありません。もう、肉体的にも、精神的にも、ドラッグなしでは何の楽しみもなく苦しみばかりなのです。どんな人間でも、何らかのケアや専門の医師の治療、あるいは少年院や刑務所という檻の力を借りない限り、まず止めることはできません。
 ですから、みなさんにとっては「自分はきっと止めることができる」と考えるより、「自分はきっと止めることができない」と考えたほうが立ち直るのに早道になると思います。

◆Q.「ドラッグは遊ぶことのできるものである」    これは本当でしょうか?

 これは間違いです。本当は、
 「ドラッグは乱用すると、遊ばれてしまうものである」
 と言うべきです。
 私が今まで関わった若者の中に、ドラッグを遊びの道具の一つとして乱用を繰り返した若者が多くいます。しかし彼らのほとんどは、結局はドラッグに遊ばれてしまいました。
 ある少女は「援助交際」と称する売春を繰り返しました。そして、売春で手に入れた金で、ブランドもののバッグや小物を手に入れ、夜の町を遊び回りました。彼女は、最初は売春の相手を選んでいたと言います。いくら声をかけられても、気に入らない男だったら、相手にもしなかったそうです。彼女は、売春で知り合った一人の男に覚せい剤を教えられました。
 彼女はすぐに覚せい剤に「ハマり」ました。彼女にとって、覚せい剤ほど便利で楽しい遊びの道具はなかったと言います。そして、彼女の売春の日的は変わっていきます。彼女は覚せい剤を手に入れるために、もう相手も選ばず売春を繰り返していきました。テレクラに電話をしては、
 「おじさん、私をいくらで買ってくれる?」
 と相手に話しかけ、売春していきました。そして、ひと月に二〇万円から三〇万円の金を覚せい剤につぎ込んでいきました。彼女のこの姿こそ、「ドラッグに遊ばれている、みじめな人間」の姿なのです。そして、一年もたたないうちに「ドラッグを遊ぶ」ことも、「ドラッグに遊ばれる」こともできないほどぼろぼろになってしまいました。
 そして今、彼女はその過去から逃れようと苦しんでいます。過ぎた時をやりなおしたり、消したりすることはできませんから、彼女のこの哀しみは死ぬまで続きます。
 ある青年は、覚せい剤を手に入れるため、最も愛していた女性を覚せい剤中毒にし、「風俗」に売りました。彼は今、刑務所の中にいます。
 彼は、最初に覚せい剤を乱用したとき、
 「世の中にこんなにいいものがあったのか」
 と思ったそうです。気持ちは良くなるし、眠くはならないし、もうスーパーマンになった気分で、何でもできたと言います。そして、
 「覚せい剤はやばいっていうけど、俺はうまく遊んでやる」
 と乱用を続けました。三カ月後には見事に覚せい剤の依存症となり、ほとんど毎日覚せい剤を乱用し続けました。
 そして最初は、
 「お前は覚せい剤はやっちゃダメだぞ。お前みたいに弱い女はすぐ中毒になっちゃうぞ」
 と言って、覚せい剤を一緒に乱用することを禁止していた愛する彼女を、覚せい剤づけにし、覚せい剤を買う金のため、彼女を「風俗」で働かせました。
 そして、彼女が覚せい剤で「つぶれ」てしまい、両親によって薬物依存症の治療の専門病院に入れられてしまうと、今度は恐喝や窃盗を繰り返し、刑務所までの道を一直線に歩んでしまいました。
 今、彼は刑務所で、大切な彼女をめちゃくちゃにしてしまった自分を責め続けています。もう、二人の仲が戻ることはありませんし、また彼も、自分のしたことに対する哀しみから逃れることもできません。
 ドラッグはこのように、それを乱用する人のからだも心も、そして人生ももてあそびます。ドラッグは嫉妬深い悪魔です。自分が最も愛され、自分のためなら何でもしてくれるように、それを乱用する人間を変えていきます。

◆Q.「ドラッグを乱用するかしないかは、個人の自由である」     これは本当でしょうか?

 この考えには、二つの大きな問題が潜んでいます。
 一つは、「薬物をやって困るのは、それを乱用した本人である。誰にも迷惑をかけるわけではないのだから、本人の自由だ」という誤解です。数十におよぶ中学校や高校で行なったアンケート調査でも、数%の生徒がこのように回答しています。本当にそうなのでしょうか。
 どのような薬物であっても、乱用を続けるためにはお金がかかります。そして、乱用者にとって、薬物を手に入れ使用することは命より大切なことです。手に入れたお金は、薬物を買うために右から左へと使われていきます。家庭をもっている乱用者は、必ずといってよいほど家庭を破壊しますし、青少年の場合は、両親を追いつめ、時にはこのお金のために犯罪や売春にはしります。
 私のもとには、一年に千件を超える薬物乱用についての相談があります。そのうちほぼ八割は、乱用者の家族からのものです。両親からの場合もありますし、夫や妻からの相談もあります。しかし、いずれの場合も、家族は精神的にも金銭的にも追いつめられ、苦しんでいます。私は、今まで四千人以上の薬物乱用者の更生に取り組んできました。しかし、残念ながらその中の四十人を死によって失いました。十九人が自殺です。彼らは、いずれも薬物の乱用をやめてから自殺しています。
 ある青年は、遺書にこう書きました。
 「先生、俺、もう生きれないよ。先生、薬やめたらすべてがわかった。シャブ代でサラ金から金を借り、親の生活をめちゃくちゃにし、たった一回のシャブ代のためにあいつをソープにつけた。もう、つらいんだ。俺なんて、生きていてもしょうがないんだ。もう、みんなにかけた苦労を考えると生きていけないんだ」
 二〇〇三年三月三日、私は、黒いネクタイと白いネクタイをつけました。この日は、私の勤める夜間高校の卒業式でした。しかし、そのめでたい日が、私の薬物との戦いにおける一〇人目の死者を送る人もなったのです。
 一九九八年に、私はある高校生と関わりました。この少年は、優しい母親と二人で暮らしていました。まじめで成績も優秀で、前途を期待される少年でした。ところが、高校一年の時に覚せい剤と出合ってしまいました。好奇心から手を出した覚せい剤が、彼の人生だけでなく、彼の母親の人生までも破滅へと追い込みました。最初は母親の財布からこっそりお金を盗んで覚せい剤を買っていた彼が、数カ月後には母親を脅し、暴力を振るってお金を奪うようになりました。そして、母親の前でも臆さず覚せい剤を乱用しました。
 途方に暮れた母親が私に相談してきました。私は母親を保護し、彼に薬物治療の専門病院に入院することを勧めました。しかし、覚せい剤を手に入れるお金欲しさに、彼は帰宅途中のサラリーマンを襲い、大けがを負わせて財布を奪いました。そして、彼は強盗傷害の罪で逮捕され、少年院に送致されました。
 その後、彼の母親からの連絡は絶え、私も彼の出院後に改めて彼と話し合おうと考えていました。ところが三月二日、彼の担当の保護司さんから「彼が、少年院を出てすぐに自殺した」と連絡がありました。保護司さんの話を聞いて、私は自分の至らなさに悲しくなりました。
 母親は、彼の逮捕後、息子が傷つけた被害者の方への賠償に日々苦しんでいたそうです。そして一九九九年の暮れに、生活苦から前途を悲観して、彼の出院を待たず自殺をしてしまったというのです。
 彼は出院後、自らの犯した過ちの大きさに耐えきれず、母親の後を追っていったのです。しかも、母親が三カ月前に首をつったその場所で自らの命を絶ちました。私が、この間に一度でも母親と連絡をとっていれば防ぐことのできた死でした。
 このように、薬物乱用は乱用者だけではなく、その愛する人たちも悲しみの底へと突き落とします。特に、その愛が強ければ強いほど、地獄の底へと落とし込んでいきます。
 次に二つ目の問題。一部の人たちから「薬物自己責任論」という形でよく言われることです。アルコールであれ覚せい剤であれ、薬物を乱用することはその本人の選択であって、その結果として依存症になろうと死のうと、それはその乱用者本人の責任であるという考え方です。
 この考え方、一般市民の間だけではなく、行政関係者や議員の間にも根強く残っています。そのため、薬物関係の医療機関や自助グループに対して差別が行なわれたりその補助を抑制されたりと、多くの問題が発生しています。しかし、本当にこれでよいのでしょうか。
 私の手許には、アルコールによる日本の社会的損失に関する報告書があります。これによれば、アルコールによる社会の損失は、交通事故、犯罪、急性アルコール中毒死などで、日本では、年間一〇兆円に及ぶとされています。
 また、アメリカでは「薬物乱用防止教育にかかる費用は、一人一ドルにすぎないが、乱用者の更生や治療にかかる費用は、乱用者一人当たり百万ドルに及ぶ」と言われています。このことからわかるとおり、薬物の問題は「乱用者個人の問題」と切り捨ててはおけない、私たち社会全体に関わる大きな脅威なのです。
 私は、アルコールであれどんな薬物であれ、その乱用が広まる背景には、その時代の社会が抱えるさまざまな矛盾や問題が大きく反映していると考えています。このことからも、「薬物自己責任論」を捨て、薬物は社会が抱える私たち全員に関わる問題であるという視点を、すべての人にもってもらいたいと願っています。

◆Q.「「薬物を乱用する人には、必ず乱用に至る精神的な原因がある」   これは本当でしょうか?

 これは、薬物関係の医療の現場でよく言われる言葉です。これ自体は、決して大きな誤解ではありません。
 確かに、専門家の間では「薬物は、まじめな子ほどまじめに使って死んでいく」、また「薬物は、心の傷が深い子ほど、その傷を埋めるようにたくさん使って死んでいく」と言われます。薬物を乱用し、摂食障害やひどい神経症に陥るケースのほとんどでは、薬物乱用のトリガー(引き金)として、それまでの成育過程でのトラウマ(心の傷)を見ることができます。このトラウマが大きいほど、薬物に強く救いを求め、泥沼へとはまっていきます。薬物乱用者の回復に取り組む者にとって、最も苦労するのがこのケースです。
 私は、今回の薬物汚染期を考えた場合、この考えに執着することは、非常に問題が多いと考えています。今回の汚染期で急増しているのは、心の傷を埋めるために薬物に救いを求めた人、言い換えれば、薬物の力を借りて生きようとした人です。ほとんどの精神科医は、このような若者に対しても、その薬物乱用の原因探求を行ないます。その結果、その若者たちは「なんだ、自分たちは、きっとそれまでの人生で、親や教師、あるいは大人たちからトラウマを与えられた被害者なんだ」と考え、ひどいケースでは、自ら立ち直ろうとする意志を捨て去り、その被害者意識にしがみつき、周囲を批判することで生きていきます。これは、彼らの回復にとっては大きなマイナスです。また、多くのケースでは、過去を思い出し語ることがフラッシュバック(再燃現象)の引き金となり、さらにそのつらさから逃れるためにドラッグやODへと逃げ込んでしまいます。
 私は、自分の関わった薬物乱用者に対して、その人の過去を聞くことはしません。過去はもう過ぎ去ったものであり、それを遡ってトラウマの原因を見つけたとしても、それはすでに癒すことはできないと考えるからです。また、自ら自分の過去を語り、自分の薬物乱用に対して正当化をはかる人には、それをやめるように言います。そして、明日をともに考えます。
薬物乱用者にとって大切なのは過去でしょうか。私はそうは思いません。過去を蒸し返すことは、ただでさえぼろぼろになっている彼らの心を再び傷つけ、場合によっては薬物の魔の手へと彼らを押し返してしまうことにもなります。私は、彼らとともにどのような明日を迎え、どのように新しい人生を切り拓くことができるかを考えていきたいのです。薬物乱用者にとって、「過去は、踏みつけるものであって、それにこだわって浸るものではない」と、私は考えています。

◆Q.「ドラッグをやることはカッコいいことである」    これは本当でしょうか?

 これは嘘です。ドラッグの本当の姿を知らない人たちが、勝手に思いこんでいることです。
 でも、みなさんが今こう思っているとしたら、気持ちはよくわかります。たとえばタバコです。私も子どものころ、大人がタバコを吸い、煙をたなびかせている姿にあこがれました。今でも、渋い俳優がテレビでうまそうにタバコを吸っている姿を見ると、「カッコいいなあ」と感じます。
 また、アルコールに関しても、みなさんが、やってみたいとあこがれる気持ちもわかります。若い人気タレントがテレビで、うまそうにアルコールを飲み干す姿を見れば、誰だって「カッコいい」と思い、自分もやってみたくなるでしょう。
 たとえ、覚せい剤やマリファナなどの他のヘビードラッグでさえ、みなさんの先輩や仲間がやっているのを見れば、「すごい、俺も」とやってみたくなるでしょう。
 でもこれはドラッグのうわべだけを見ているに過ぎないのです。
 タバコを乱用すれば、口だけでなくからだ中が臭くなります。また、歯はヤニで茶色く染まります。これがカッコいいのでしょうか。
 アルコールを過度に乱用すれば、酔っぱらってしまい、人によっては、吐いたり、暴れたり、騒いだり、道ばたで場所も考えず寝てしまったりします。中には、大便や小優を垂れ流してしまう人すらいます。みなさんもこうなった人を見たことがあると思います。これがカッコいいのでしょうか。
 これは他のどんなドラッグでもいっしょです。乱用の行き着く先には惨めさしかありません。私の知っている限り、ドラッグを乱用してカッコよく生きている人は一人もいません。
 みなさんは決してだまされないでください。ドラッグの本当の姿を忘れないでください。

◆Q.「ドラッグを一度でも乱用すれば、人間をやめることになる」    これは本当でしょうか?

 このことばを行った人間の気持ちはよくわかりますが、これは言い過ぎです。多分、このことばを言った人は、このようにして、みなさんにドラッグについての恐怖心を持たせ、みなさんが怖がってドラッグに近づかないようにしたいのだと思います。
 しかし、このことば通りならば、ドラッグを乱用し、そこから立ち直った多くの人たちがあまりに可哀想です。先ほど書いたダルクでは、ドラッグの依存症から抜け出した多くの人たちが、次の依存症の人たちをドラッグの魔の手から救うために努力しています。彼らはみんな素晴らしい人間です。
 また、私の関わった若者の中に、一度覚せい剤を乱用し、
 「なんだ、別に人間やめなくてもすんだ。大人は嘘つきだ。覚せい剤なんてたいしたことない」
 と乱用を繰り返し、見事に依存症になってしまった少女がいます。
 私はこのようないい加減な脅しは、みなさんに対して失礼だし、また害が多いと考えます。
 このことばは、本当はこう言うべきでしょう。
 「ドラッグの乱用を続ければ、確実に人間をやめることになる」
 また、みなさんをおどすわけではないのですが、あるドラッグに関して有名な医師は、
 「ドラッグを一度でも乱用してしまったら、完全に乱用前の状態に戻すことはできない」
 と言っています。私はこれは真実だと思います。ドラッグを一度でも乱用し、いい気持ちになるという経験をしてしまうと、必ず「また使いたい」というつよい欲求が生じてしまいます。この欲求とたたかい続けない限り、ドラッグを止めることはできなくなってしまいます。そして、このたたかいは一生続くこととなります。
 私はこう言いましょう。
 「ドラッグを一度でも乱用すれば、ドラッグを乱用したいという欲求と一生たたかい続けなくてはならなくなる」

◆Q.「ドラッグに関して、寝た子は起こすな」    これは本当でしょうか?

 このことばも、多くの大人たちからよく耳にすることばです。これはつまり、ドラッグについての情報は、それが正しいものであれ、若者に伝えないほうがよい。なぜならば、そんな話をすれば、みなさんがかえってドラッグに興味を持ってしまい、乱用したくなってしまうから、ということです。
 私はドラッグについての講演で、今までに多くの高等学校を回りました。そのいくつかの高等学校で、校長先生たちから、
 「うちの学校の生徒はまだまだ大丈夫です。あまりドラッグについて詳しい話をされると、かえってドラッグに興味を持ってしまいます。気をつけてください」
 と言われました。私はそのたびに、
 「もう寝た子はほとんどいません。また、寝た子は今こそきちんと起こしてあげなければなりません。むしろ寝たままでいたいと駄々をこねているのは、そのように考える先生自身なのではないですか」
 と答えました。
 みなさんにお聞きします。みなさんは、「寝た子」ですか。今や、マスコミや雑誌、本などにはドラッグに関する情報があふれています。そして、そのほとんどはいい加減なものです。また、みなさんのドラッグヘの興味や関心をあおるようなものです。こんな状況だからこそ、みなさんにきちんとした正しい情報を伝えていかなければならないのではないでしょうか。また、みなさんの中に「寝た子」がいたとしても、きちんと「起こしてあげる」必要があるのではないでしょうか。
 私は、多くのドラッグがみなさんにその魔の手を広げている今こそ、みなさんはドラッグについてきちんと知るべきだと考えます。そして、ドラッグの本当の姿を知ることによって、自らドラッグに近づかないという強い意志をつちかっていくべきだと考えます。

◆Q.「薬物乱用は、『愛の力』で克服することができる」    これは本当でしょうか?

 私は、これがいま最も困った誤解だと思っています。多くの薬物乱用者の家族やその周辺にいる人たちが、この誤解のもとに、愛の力で乱用者を薬物の魔の手から救おうとして、かえって破滅へと追い込んでいます。そして、自らもぼろぼろになってしまっています。すでに述べたように、私もその過ちを犯した一人です。
 薬物依存症は病気です。病気は、愛の力で治すことはできません。病気は、医師や専門家の力ではじめて対処できるものなのです。
 愛の力では薬物乱用を救えないことを示す、もう一つの事例を挙げておきます。
 私は、数年前の九月、高校二年生の少女に死なれるところでした。その少女は、シンナーの乱用を繰り返す一八歳の彼氏のことで、私に相談してきました。その日はどうしても私の都合がつかず、週末の夜、彼女と彼のところへ行く約束をしました。私が彼に会うということでうれしくなった彼女は、その日の夜一〇時頃、彼の家を訪ねました。そして、彼の部屋のドアを開けました。ちょうどその時、彼はシンナーをティッシュペーパーに染み込ませ、それをビニールの袋に入れていたところでした。
 彼女はその袋とペットボトルに入ったシンナーを彼から奪い、そして彼に聞いたそうです。「私のこと愛してる?」と。彼は「愛してるよ。お前なしじゃ生きれない」と答えたそうです。彼女が「だったらシンナーやめて。金曜日には、シンナーの専門家の水谷って先生が、ここに来て相談に乗ってくれる。せめてその金曜日まではシンナーやめて」と頼んだそうです。彼は「さよならシンナーだ。今日でもうやめる。最後だから吸わせろよ」と、彼女に迫ったそうです。彼女は「いつもそう言って、もう一年毎日のようにラリってるじゃない。絶対に渡さない」とシンナーを窓から捨てようとしました。彼は彼女に襲いかかり、彼女の腹を蹴り、痛さにしゃがみ込んだ彼女の手からシンナーを奪って、吸引し始めました。
 彼女は、その悲しみから、部屋の片隅でずっと泣いていました。そして夜一一時半頃、「私が苦しめば、きっと彼はシンナーをやめてくれる」という必死の思いで、彼の手許にあったペットボトルのシンナーを奪い、それを飲みました。シンナーは毒物・劇物です。当然のことながら、飲めば最初に胃けいれんが起こります。彼女は、胃の内容物をすべて吐きました。しかしそれでもけいれんは止まりません。今度は、全身がけいれんし始めます。その苦しみの中で、必死で彼のもとに這っていき、彼に「お願い、お医者さんに連れてって」と何度も何度も頼んだそうです。彼は、そのたびに「うるせーぞ」と彼女の手を振り払い、シンナーを吸引し続けていたそうです。
 朝の四時頃、ようすがおかしいことに気づいた彼の母親が、彼の部屋に入ってきて驚き、救急車を呼んでくれました。
 このケースについても、「きっと彼は、彼女を本当は好きではなかったんだ」とか「愛が足りなかっただけさ」などと思う人もいるかもしれません。しかし、私は、そうは思いません。彼の心に彼女へのいとおしさや愛はあったでしょう。しかし、薬物の魅力は、薬物を使いたいという欲求は、その愛よりもはるかに強かったのです。

 ある新聞記事に私の紹介記事が掲載されたときのことをお話ししたいと思います。その記事に、私の自宅の電話番号が載ってしまったために、その日は二二本の相談の電話がありました。三本は乱用者本人から、一九本は乱用者の家族からでした。どの家族も、数カ月から数年にわたり乱用を繰り返す子どもや夫についての相談でした。どの家族にも共通していたことは、薬物を乱用することは犯罪であることはわかっているけれど、愛する子どもや夫を警察には渡したくない、そう考えて「愛の力」での更生をはかりつづけてきたことでした。そして、どの家庭も更生に成功するどころか、金銭的にも精神的にも破壊されていました。
 薬物乱用者の家族や本人からの相談があるたびに、私はその本人と家族とに会います。そして、本人には、私の紹介する専門病院への入院かダルクへの入所を勧めます。また、家族には、これを本人が拒否した場合、家族としての縁を切り、家から出すことを勧めます。
 薬物の乱用は乱用者を孤独にします。なぜなら、乱用者にとっては薬物こそがすべてですから、家族や友人を大切にしませんし、薬物のためなら平気で裏切ります。その一方で、薬物乱用者はこの孤独を恐れます。孤独のなかで「もうこれ以上薬物を使えば、自分はおしまいだ。助けて......」という叫びが出ることを、私たちは「底付き」と呼んでいます。専門家の多くは、この「底付き」によって初めて、薬物に決別しようとする動機づけが始まると考えています。
 家族や周囲の人が「愛の力」で救おうとすることは、この「底付き」を遠ざけてしまうことです。「まだ、自分は孤独ではない。もう少しだけなら使っても大丈夫」と乱用を繰り返して、精神や身体にもう後戻りできないダメージを受けてしまうことになります。
 高知のケースでは、二二ケースのうち私やダルクが関与できたのは、残念ながら三ケースだけでした。後のケースでは、もう乱用者が壊れすぎており、精神病院か警察に連絡をとって保護してもらうよう勧めたのですが、その後返事がありません。いまだに抱え込んで、死への道をまっしぐらに進んでいるのでしょうか。

◆Q.「薬物乱用は、法律を改正し厳罰化すれば、沈静化することができる」    これは本当でしょうか?

 私が薬物汚染に関するテレビ番組に出演したときのことです。このときに、その番組のレギュラーコメンテーターを務めたある芸能人の発言に、憤りと悲しみを感じました。彼は、私をはじめ、現在薬物汚染の問題に必死で取り組んでいる何人かの報告や話を聞いた後で、薬物汚染の拡大を防ぐための手段として一つの方法を提案しました。それは「お隣の国中国では、薬物を使用すると公開で死刑にしているという。日本でも、薬物乱用への罰則をもっと強化すればこの問題を解決できるのではないか」というものでした。
 彼は、この発言のなかで、三つの間違いを犯しています。
 一つは、中国で死刑とされるのは、薬物の乱用者ではなく、密売者のみです。中国には、その環境が優れているかどうかは別として、薬物乱用者のための公的な施設が存在します。この意味では、私たちの日本よりはるかに薬物問題に対する対策が進んでいます。
 もう一つは、乱用を続けて薬物依存荘になってしまうと、薬物はその乱用者にとって命よりも大切なものとなってしまうことです。たとえ、その乱用が自らを刑務所に入れることになるとしても、また極端ですが、死刑になってしまうとしても、やめることのできないものなのです。ここに薬物の怖さがあります。東南アジアのいくつかの国では、一定量以上の薬物の所持で死刑の判決を受けます。それでも、それらの国では、薬物汚染の問題は解決されていません。彼はこの事実をどう受け止めているのでしょう。
 最後の一つは、いかに薬物乱用に対する罰則を強化したとしても、薬物乱用を生み出す社会の問題を解決しない限り、次から次と法の網をかいくぐって、新しい「脱法ドラッグ」などの薬物がつくり出されるだけであるということです。
 薬物乱用は社会の病です。歴史的に見ても、現在の世界のさまざまな国々のようすを見ても、その社会の多くの人間が、日常的に閉塞感を感じる状況のもとでしか、薬物は広く蔓延していません。薬物乱用を防ぐためには、社会自体をかえていくことが最も重要であると私は考えます。
 いま日本で、彼のように厳罰化を考える人間が増えてきています。私は、少年法の改正についての議論が活発に起こり、ついに改正されてしまった際にも同様のことを感じました。安易に罰則を強化し、処罰されることの恐怖から犯罪や少年非行や薬物乱用を防ごうということは、これらの問題の根本的な解決や解消には決してなりません。それらの背景にある、私たち自身が生きる社会が抱える問題を、その社会に所属する一人ひとりの人間がきちんと解決していかない限り、一歩も前進したことになりません。私は、薬物乱用を個人の問題としてとらえるのではなく、社会全体の抱える問題としてとらえる視線を持って欲しいと切望しています。

 

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