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こころを病む子どもたち

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虚ろな目

 私にはいま、とても心配なことがあります。
 私は一五年間、「夜回り」を通じて夜の世界を歩き回り、さまざまな子どもたちと触れ合ってきました。最近、この「夜眠らない子どもたち」が急速に変わりました。彼らの目から、私は「目力」と呼んでいますが、輝きがなくなってきています。かつて夜の世界の子どもたちは、自分たちを捨てた昼の世界のへ怒り、憎しみなどで目がぎらぎらと輝いていました。あるいは、ふてくされている子どもたちでも、斜めでにらみつけてくる「目力」をもっていました。
 ご存じのとおり、いまは各地で暴走族が減少しています。これは警察の取締りが厳しいということもありますが、加えて、いまの子どもたちには、以前の子どもたちのように暴れまわるエネルギーや、その気力さえもなくなっているのではないでしょうか。昼の世界の大人たちに復讐しようという、その憎しみすらももてなくなって、虚ろな目をした子どもたちが増えてきています。
 でもこのことは、私が数年前からかかわってきたこころを病む子どもたちにも通じていると思います。私の講演、あるいは私のもとに相談に来る子どもたちには、「目力」がまったくありません。虚ろな目が明日を見失い、死へと向かっています。
 家庭で、あるいは中学校や高校の教室で、子どもたちの目を見てみてください。瞳は輝いていますか。あしたの夢をもつことができずに明日を捨て、自分の存在すらも見失い、何のために生きているのかわからなくなっている、追いつめられた子どもたちの目が輝くわけがありません。でも、子どもたちをここまで追いつめているのは、いったいだれなのでしょう。
 いまの日本で、この「目力」のない、生きる気力を失った子どもたちが増えています。このままでは日本の多くの子どもたちが死んでしまいます。自殺という形で身体を殺す子どもたちも増えていくでしょう。でもそれ以上に、自らのこころを殺してしまって、薬物やただ一夜のなぐさめに救いを求める子どもたちや、あるいはバーチャルという仮想現実の世界のなかで、インターネットのサイトや携帯電話、メールと向き合ってしか生きられない子どもたちが、今後ものすごい勢いで増えていくのではないでしょうか。
 私たちの国はどうなるのでしょう。私たちの大切な子どもたちはどうなってしまうのでしょう。

夜眠れない子どもたち

 警察庁のまとめによると、二〇〇四年の日本の自殺者数が三万人を超えたと発表されました。成人についてはほぼ横ばいになりました。一九歳以下の子どもに関しては五百数十人ですが、二〇〇五年の統計では子どもたちの自殺はもっと増えるだろうと私は考えています。
 学校や家庭で傷つけられた子どもたちのなかで、もっとも純粋で優しい子どもたちは、自分を責めています。「私なんかいないほうがいい」「もうみんなに迷惑はかけられない」とすべてを自分で抱え込み、その重圧のなかで夜眠れずに、一人暗い部屋のなかで苦しんでいます。
 現在、日本中の中学校と高校のほとんどの学校には、この問題に苦しんでいる多くの生徒がいます。親や教員が夜ぐっすりと眠っているときに、インターネットやメールに生きるための救いを求めながら、かみそりやカッターナイフを手にして自分で自分の身体を傷つけることで、あるいは市販薬や処方薬を大量に飲むことによって、死ではなく生き抜こうと苦しんでいる子どもたちがいます。すべては明日を生きるためなのです。
 五年ほど前、私は新しいタイプの問題行動を起こす高校二年生の一人の少女とかかわることになりました。その問題行動とは、リストカットとOD(Over Does 処方薬を一回の処方量を超えて過剰摂取すること)でした。
 この少女の両親は、彼女が小学生のときに離婚しました。その後、父親は再婚し、母親も再婚したため、家を失った彼女と姉は祖母に預けられて育ったそうです。幼くして両親がいなくなった寂しさは、どれほどだったでしょうか。
 しかも、彼女は小学校時代から、姉からは暴力を受け、学校ではいじめにさらされていました。そして、中学校時代からリストカットをはじめたのです。これに気づいた祖母が心療内科に連れて行くと、今度は医師から処方された向精神薬を一度に数十錠も服用し、いまのつらい状況から逃れようとしていました。
 このような状態が何年か続き、死を考えていたそのときに、私が彼女の学校に講師として招かれたのです。彼女は私の講演を聞いたあと、私に最後の望みを託して、私のいた校長室に相談に来ました。校長先生が二人きりにしてくれたら、彼女はぽろぽろと涙を流して泣きはじめたのです。「座りなさい」といって座らせた数分後、彼女がすっと制服の左袖をまくりました。彼女の左腕内側には、手首から肩の近くまで無数のかみそりで切った傷痕、リストカットでした。そのうちの三本は血管を切り裂くほど深く深く切っていました。
 私は思わず「痛かったなあ」と傷痕をなでながら、「でも、ごめんな。先生、君のために何ができるかわからない。先生がいままで一緒に生きてきたのは、夜の世界でやんちゃやってる元気のいい子たちばかりで、リストカットの子は一人もいない。でも、やめたいのかい」と聞いたら、「うん」というのです。「ようし、わかった。じゃあ、先生、勉強してみる。先生と一緒に生きてみるかい」
 私は、痛々しい彼女に対して、精神科医でもなくカウンセラーでもない一介の生徒指導の教員として何ができるのか、不安を抱えたまま彼女と生きはじめました。毎日が試行錯誤の連続、インターネットやさまざまな出版物、文献などを通じて、さらに友人の専門医たちや各機関の協力を得て、リストカットやこころの病について学びました。
 そして、この事実を二〇〇三年九月に一本のテレビ番組として放映しました。さらに、翌年の春には一冊の本にして出版しました。このテレビ番組や本は、こころにさまざまな傷をもち、苦しんでいる子どもたちや若者たちに、「水谷が気づいたよ、一緒に考えようとしている大人が、まずは一人ここにいるよ」というメッセージを伝えるものでした。その結果は、ひと晩で数百件もの相談メールととぎれることのない相談の電話。私と「夜眠れない子どもたち」の出会いでした。
 私のもとに届いた相談のほとんどすべてには、昼の世界、家庭や学校で自己の存在を否定されて苦しみ、そのなかで非行や犯罪、あるいはリストカットなどの自傷行為、自殺願望へと追いつめられている子どもたちの叫びが刻まれています。
 このときから私の毎日は、これらのメールや電話にひたすら生きて欲しいというメッセージを伝える日々でした。そして、子どもたちからの一つひとつの相談に、あるケースは学校の先生への相談でつなぎ、あるケースは心療内科に、あるケースは精神科に、またあるケースは児童相談所にと、その子の状況を聞きながらもっとも的確と思われる各機関に介入してもらいました。私が直接かかわることになったケースも数百件を超えています。

自傷はこころの叫び

 リストカットなどの自傷行為は、ほとんどのケースで、子どもたちのこころの叫びです。その子どもたちは、自傷したくてしているわけではないのです。パンパンになったこころを、自傷することでやっと「ガス抜き」している。自分で自分を傷つけることによって、かろうじてこころのバランスをとって生きているのです。それまでに受けたこころの傷から死へと向かう誘惑を、なんとか断ち切ろうと生き抜いています。自傷行為は、最初は生きるための行為なのです。
 自傷行為がはじめて社会問題として取り上げられたのは、一九五〇年代のアメリカにおいてだといわれています。第二次世界大戦後の繁栄を謳歌して、その繁栄から経済が急速に不況となったころのアメリカの、ある女子刑務所と精神医療機関の女子病棟で、ほぼ同時期に収監者や患者の間にリストカットが見られました。そして、短期間に同じ房や、同じ病室の収監者や患者の間に、リストカットが広まっていったという報告が出されています。
 このことからもわかるように、リストカットなどの自傷行為は、物質的な繁栄から経済が停滞し閉塞的な状況におかれた人が、こころのなかにさまざまな葛藤をため込んでしまい、さらに、そのこころの叫びを何らかの方法で外に出すことができない場合に、一つの表現として発生します。
 しかし、子どもの自傷行為を目にしたとき、親や教員、あるいは友だちのほとんどは、必ずといっていいほど「やめなさい」「なんでそんなことをするの」といいます。また、その行為を責めたり、しかったりします。でも、これらの自傷行為を、無理にやめさせることはとても危険です。自傷行為を否定したり、だめだととめてしまったら、パンパンになったこころの「ガス抜き」ができません。だから、死ぬかしかなくなるのです。「やめなさい」というひとことは、子どもを死に追い込むほどのひどいことばだと私は思います。
 問題なのは、自傷している事実ではなくて、なぜ自傷してしまうのかということです。その背景にある原因を探し出すことが重要であって、その原因を解決せずに自傷行為をとめるのは、とても困難なことですし、非常に危険なことなのです。
 学校関係者のなかには、自傷行為などのこころの問題は生徒指導の範疇ではない、養護教諭やスクールカウンセラーの仕事だと考える人も多いと思います。しかし私は、子どもたちのこころの病は、すべての教員が、担任として生徒指導担当として、あるいは一人の教科指導担当として、目を背けることなくかかわらなくてはならない課題だと考えています。少なくとも、そこまで子どもたちを追い込んでしまったこの社会をつくった加害者である一人の大人として、人間として、きちんと向き合わなくてはならない課題だと考えています。

快感が依存に

 こころの病の問題について、とくに自傷行為については、わが子がはじめたときに多くの親は、「こころが弱いから」「しっかりしないから」とすべてをその子のこころの甘え、あるいは逃げと片づけてしまいます。でも、これは違います。
 じつは自傷行為には、非常に恐ろしい側面があります。
 たとえば、リストカットは身体を刃物で切るわけですから、切れば当然痛いと感じます。これは普通の考え方です。でも、じつは人間の脳にはさまざまな働きがあります。痛いと感じるのは、切ったときに流れる血を見て脳内に神経伝達物質のアドレナリンが分泌され、このアドレナリンが、身体に異常が起きたすぐになんとかしなければならないと感知して、心臓の動悸を早め、痛みを本人に自覚させているのです。それと同時にこの痛みを緩和する脳内の神経伝達物質、エンドルフィンが有名ですが、これが脳のなかで分泌されます。たとえば、包丁やナイフで指を切ったとき、最初の痛みは時間がたつにつれて緩和されていったという経験はありませんか。でも本来、痛み自体は変わるはずはないのです。では、なぜ痛みが緩和されていくかというと、脳のなかでエンドルフィンが痛みを感じる脳の部分を麻痺させているからなのです。じつは切るという行為は、このエンドルフィンという快感物質を脳のなかで分泌させるという働きをもっています。ですから、リストカットを繰り返す間にリストカットが苦痛ではなくなるケースが多いのです。むしろ切ることが快感になる。身体がエンドルフィンの分泌を求めて、「切れ、切れ」といってくるのです。
 これはある意味でのアディクション、依存症です。このケースなどは本人のこころの問題というよりもむしろ病的なものなので、当然精神科医によるきちんとした治療で治すことができます。
 でも残念ながら、ここまでわかっている親はほどんどいません。

リストカット

 自傷行為には、さまざまな形態があります。手首を鋭利な刃物で切るリストカットや上腕を切るアームカット(夏場で制服が半袖になると多い)、火のついたたばこなどを押しつけて肌を焼く根性焼き、広義では、ピアスをたくさんつけたり、身体にピアスをするボディピアス、あるいは、身体中に入れ墨やタトゥーを入れることもこの範疇に入ります。
 私のもとに届いた膨大な量の相談のなかでも、最初の半年間に相談メールを送った約三万人を詳細に分析した結果があります。三万人のうちのおよそ五パーセントが薬物について、およそ五パーセントが少年非行や少年犯罪を繰り広げる子どもたちの親から、そして、およそ九〇パーセントが一〇代、二〇代のこころを病んだ子どもたち、「夜眠れない子どもたち」からの相談でした。
 これは述べ数ではなく、個別の相談者の精査結果ですが、小学生・中学生・高校生からの自傷の相談メールが二万人を超えて届きました。その九〇パーセント以上は女子からの相談です。相談の最低年齢は小学四年生の男子からのものでした。その具体的な学齢と性別の分類は上の表のとおりです。
 リストカットでは男子は少数ですが重篤なケースが多く、対応に一刻を争うことが多々ありました。これは、女子に比べて男子の場合は、我慢に我慢を重ねるため、リストカットをはじめるときには、すでにこころがいっぱいいっぱいの状態だということです。哀しいことに、自殺を意識しながらリストカットをしている子がほとんどでした。
 リストカッターでも学校に通学できている子どもの場合は、手首に浅く傷をつけているくらいの軽症のケースがほとんどでした。学校で多くの人たちに囲まれ、いじめや無視などのこころの被害にあっていても、人に対して何らかの救いや接触を求めている場合は、まだ軽度ですむことが多いようです。また、他者に知られたくないという気持ちが多少の抑止力にもなっているようです。
 不登校や退学して引きこもりとなっている子どもの場合では、血管に到達するまで深く切ってしまう重篤なケースが目立ちました。人間関係をつくることが不得意な子どもたちは、孤立化したなかで自己意識に閉じこもり、救いを死に求めてさらに深く切ってしまうことが多いようです。
 また、部活動やクラスの仲良しグループが集団でリストカットをしているという相談も多く、なかには、友人のリストカットをとめようとしているうちに、自分もはじめてしまったという子どももいました。

生きるために切る

 私は、この問題にきちんと取り組むまでは、リストカットなどの自傷行為は、自殺願望の一つであろうと考えていました。しかし、いまは違います。子どもたちは、生きるために切っているということに気づいたのです。親からの虐待やこころないあつかい、学校でのいじめや人間関係のもつれなどで、こころがいっぱいいっぱいになった子どもが、リストカットなどの自傷行為で、そのこころにため込んだものを吐き出しています。
 学齢的には、やはり高校進学がこころへの圧力として重くのしかかる中学三年生と、こころがいちばん不安定な時期といわれる一七歳、高校二年生と三年生での相談件数が多く見られました。
 原因については、正確な数値的分類はまだ終えていませんが、おもだって目立つ理由は以下のとおりです。
①家庭における虐待
②学校におけるいじめ
③過去の性的な被害
④親の過度な期待への適応疲れ
⑤失恋
⑥友人関係
 とくに、①から③の理由でリストカットしている子どもたちは、重篤なケースが目立ちました。また、男子の場合は、ほとんどの理由が②のいじめでした。
 また、症状については、自傷行為をはじめて二?六ヵ月は、刃物の先を軽く押しつけて傷痕をつくったり、たばこの火を肌の近くまで近づけて軽いやけどをつくったりと、軽微なものがほとんどでした。しかし、この期間にさらに追いつめられると深く切りはじめ、一度出血を見てしまうとさらに切り込むという悪循環に陥っているケースが多く見られました。ただし、血管まで切り裂く行為を常習的に繰り返すケースでは、すでに精神科医に相談している子どもがほとんどでした。このような非常に危険で重篤なケースは、小学生や中学生ではまったく見られず、とくに一七歳以降、高校二年生以降に多く見られました。
 また、この場合は、学校に在籍しているとしても定時制高校や通信制高校で、しかも不登校、あるいは引きこもりとなっている子どもがほとんどでした。

OD(薬の大量摂取)

 ODとはOver Does(オーバードーズ)の略称で、医師から処方された睡眠薬や抗うつ剤、向精神薬を一回に指定された量以上に服用することや、一部の麻薬成分の入った市販薬を一度に数十錠と過剰に摂取することです。このODが、中学生や高校生の間に広まっています。まずは市販薬のODについて見ていきます。
 じつは、市販薬の一部には、微量ですが麻薬成分を薬効のために含むものがあります。エフェドリンや麻黄、コデインやアセトアミノフェンなどの成分が含まれたものです。これらの市販薬を一度に数十錠単位で服用すると、それぞれの成分に応じて、禁止薬物であるヘロインや覚せい剤を乱用した場合と同様の抑制効果や覚せい効果を得られます。かつて、市販されていたある咳止め薬を一部の高校生や大学生が乱用し、精神障害を引き起こした事件がありました。社会問題にもなったことから覚えている人も多いと思います。のちにこの商品は、そのなかに含まれている麻薬成分を減らしました。
 しかし、そのほかにも数多くの危険な市販薬が一般に販売されています。本来これらの危険な市販薬は、薬事法で対面販売が義務づけられ、あらに一人の客に大量に販売しないように指導されています。しかし、一部の大型ドラッグストアやこころない薬局では、一度に一〇箱二〇箱とこれらの市販薬を販売していることがあります。また、薬物乱用者のなかには、いくつかの薬局を回って買いためている子どももいます。
 あるとき、私のもとに一人の中学一年生の少女から相談の電話がありました。この少女は、小学五年生から生理がはじまりましたが、その生理痛が重いことから、母親は自分が使っていた痛み止めの市販薬を少女に与えました。少女は小学六年生のときに学校でいやなことがあり、家でも母親からしかられて、落ち込んでいたそうです。ちょうどそのときに、この痛み止めの薬のことを思い出しました。「この薬は飲み方を間違えると危険だから、決まった量以上に飲んではだめ」と母親からいわれていたのだそうです。少女は死のうと思って一度に十数錠を服用しました。ところが、飲んでみると死ぬどころかふわっとした軽い気分になり、こころがとても楽になったそうです。それからは、いやなことがあるたびに痛み止めの薬の乱用を繰り返し、私のもとへ相談に来たときには、週に一度は数十錠を乱用していました。そしてこの時点で、少女の身体は薬に対して依存が形成されていました。
 これらの市販薬乱用については、インターネットで「気持ちのよくなる薬の使い方」などと紹介され、一部の高校生たちの間で広まっています。
 私のもとへの相談は、受験校の男子生徒からの相談が多く、受験への不安を解消するために乱用し、苦しんでいるケースが目立ちます。

処方薬の乱用

 本来の意味でのODとは、医師から処方された睡眠薬や抗うつ剤、向精神薬を指定された量以上に服用することですが、このケースも目立って増えていますし、重篤なものがほとんどです。
 たとえば、学校へ行こうとすると、めまいや動悸、息苦しさなどのパニック症状が出て激しい不安や恐怖に繰り返し襲われたり、精神的に不安定な状態が続いたり、自傷行為を繰り返した場合、子どもたちは心療内科や神経科、精神科に通院するようになります。その病院で症状に適した薬を処方されるわけですが、最初は指定された分量を飲めば楽になります。そのうちに子どもたちは、もっと多く服用すればさらに楽になるのではないかと思うようになり、たとえば四錠飲んだら、二〇錠飲んだら、一〇〇錠飲んだらと一回の分量をはるかに超えて服用するようになります。こんなことを繰り返している間に子どもたちの身体には処方薬依存が形成されてしまい、これらの処方薬をつねに大量に服用しないと、精神的な安定がはかれず、眠ることもできなくなってしまうことが多いのです。
 私のもとへの相談でも、こんなケースがあります。
 高校二年生になる不登校の女子生徒が、精神科の病院を数軒回って処方薬を集め、毎日数十錠をアルコールとともに服用し、これらの処方薬がなくなると自殺未遂を繰り返していました。現在、この女子生徒は精神科の病院に入院して薬物からの離脱を試みています。でも、残念ながら前途は多難です。
 処方薬は麻薬成分の含有量が、市販薬とはまったく異なります。私たち薬物の専門家の間でも、この処方薬の乱用は治療がむずかしいといわれ、もっともやっかいな後遺症を残しやすい危険な行為として考えられています。肝臓や脳に大きなダメージを与え、治癒することのない障害を残してしまいます。

ほんとうの治療とは

 現在の日本で、子どもたちが処方薬を入手することはとても簡単です。心療内科や神経科や精神科に行って、眠れないと訴えれば、睡眠薬や安定剤を大量に処方してくれます。でもこれは、ほんとうはとても怖いことなのです。
 いい精神科医とそうでない精神科医は、どこで見分けられるかご存じですか。
 だいたい三回行けばわかります。ろくに話も聞いてもらえず、三分とか五分の診療で「はい、この薬飲んでくださいね」と、三回続けて薬しか出さなかった精神科医はだめです。二度と行かないほうがいい。
 夜眠れないという人でも、薬を使えば当然眠れるようになります。でも、その薬を半年、一年と長期間にわたって使ったら、薬なしでは眠れなくなってしまいます。こんなことが眠れないことの解決策ではありません。
 むしろ、薬を使うことによってこころの病が悪化してしまうこともあります。
 たとえば、いじめの対象になっていることが原因で学校に行けない子どもがいるとします。この子にある薬を使えば、次の日から学校に行けるようになります。この薬は覚せい剤の一種ですが、使えば、「お母さん、なんかいじめられたくなってきた。いじめられるって楽しそうだね」といって学校に行きます。学校でいじめられたら、「もっといじめてよ、いじめられるってこんなに楽しかったのか」となる薬です。でも、これは本来の治療でしょうか。また、学校へ行けないことの解決策でしょうか。
 いいえ、私はそうは思いません。この子は数ヵ月後には薬物依存が形成されてしまい、この薬なしでは生きられなくなります。さらに使い続けていると、数年後には廃人になってしまいます。
 ほんとうの治療というのは、なぜその子が眠れないのか、何がつらいのか、親の過干渉や過剰期待か虐待か、学校のいじめが原因なのか、それを本人に聞いたうえで、その子に最適な方法で、早急に対処することだと私は思います。たとえば、親の過干渉や過剰期待なら、親と話し親に対して指導する。親からの虐待ならば、児童相談所に通報して子どもを守る。学校でのいじめなら、教育委員会や校長先生にかけ合って、それをとめる。子どもたちを守るためにきちんと動くこと、これがほんとうの意味での治療であり、子どもたちを救える道だと私は考えています。
 これができない医師はだめです。でも、日本の精神科医でここまでできる医師は全体の何割いるのでしょうか。とにかく薬を使えば症状が一時的に改善されるので、親や子どもたちからは喜ばれます。それに薬を処方すればお金にもなります。
 処方薬は麻薬成分を含むものもあり、使えば量が増えていくこともあります。とても怖いものなのです。

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