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子どもたちの明日を拓く

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1. 二一世紀はこころの時代

 二一世紀はこころの時代だと私は思っています。
 私は一九五六年、二〇世紀の後半に生まれました。日本では、二〇世紀の前半と後半では、まったく違う時代です。二〇世紀前半は帝国主義と呼ばれる時代で、国民は国に身をささげることを信条として走り続け、国同士が世界を奪い合うために争いました。日本は一部の列強と呼ばれる国々のもとへ列をなして入り、アジアを侵略しました。各国が世界の富を自分の国へもたらそうと争った時代です。
 二〇世紀の後半は、世界全体がある意味で反省に至った時代です。国よりもまず先に、国民のことを考えようという時代になりました。ただし、残念なことにアジアやアフリカ、南アメリカ等の国々を資本や財力で支配するという姿勢は変わりませんでしたが。
 一九四五年、日本は第二次世界大戦の敗戦によって、すべてを失いました。
 その結果、かつて以上の繁栄を、かつて以上の経済力をと、多くの国民が求めたのです。二〇世紀後半の日本は、世界の国々からエコノミックアニマルと揶揄されてまで働き続け、だれもが物質としての富に執着しました。富さえを手にすればきっと幸せになれるという風潮のもとに、みんなが無我夢中で生きてきました。
 教育もそれに追いかけられ、多くの親たちが教育パパ、教育ママになりました。そして、わが子を少しでもいい高校に入れて、大学に進学させれば、いい企業に就職できる。勉強がすべてだ。いい企業に勤めれば高給がもらえ、幸せな生活が手に入る。このように物質的な幸せを求めてだれもが努力し、その結果、日本はバブル経済に突入したのです。しかし、一九九一年にそのバブル経済は崩壊してしまいました。もうすでに、世界の富は飽和状態です。たとえば、日本が豊かになればどこかの国が貧しくなる。わが国のなかでも、だれかが豊かになればだれかが貧しくなるというような富の飽和状態になっています。
 いま、日本人が歩いてきた道のりを振り返ってみると、二〇世紀の後半は富、地位、名誉などを追いかけまわして、多くの人が自分というものを見失ってしまいました。でも本来、ほんとうの幸せとは物質的な富はもちろんのこと、地位や名誉なんかではありません。
 二一世紀はそれぞれの人が、自らの幸せとは何かということを考えるときです。このようなことに気づいた時代がはじまったと私は考えます。しかし、まだ答えが見つからずもだえ苦しみ、虚ろになっている時代、それがいまなのではないかと私は思います。
「先生の幸せとはなんですか。夜回りして朝までメールに答えて、それで幸せなんですか」とよく聞かれます。私はいつもこう答えます「幸せだよ。だって夜回りして子どもたちといろいろ話をして家まで送っていく。先生ありがとうって輝いた目。ちょっと前までは虚ろな目だったのに。その瞬間に私は幸せを感じるよ」。
 私のもとに、「死にたい、死にたい、これから死ぬんだ」といって来た子が、かかわった数ヵ月後に「先生、いま私は老人ホームで働いています。ホームで今日一人のおばあさんがお漏らしをしました。ほんとうは拭いておむつを替えてあげるだけでいいんだけど、汚かったからシャワーしてあげました。その間中おばあさんが、目に涙をいっぱいためて両手で拝みながら、私にありがとうっていっていた。私、先生がいっている人のために生きる喜びを知りました。先生、ありがとう」こういうメールをもらったら、これ以上の幸せはありません。
 二一世紀の日本はまさに、こころの問題に切り替えていく時代がはじまったと思っています。
 日本といえば、私はつねづね疑問に感じていることが一つあります。本来、日本には仏教という伝統文化があります。仏教が日本に伝来してからおよそ一五〇〇年の歳月が流れました。本物だからこそ日本の文化となって残ることができた、この宗教の力を忘れてはいませんか。思い返してみてください、伝統ある私たちの宗教が、こころの時代を迎えた現代社会や大人たちに、とくに子どもたちに対して何かしてくれているでしょうか。
 不登校の子どもたちを見ていて思うことがあります。学校に通えなくたった子や社会に出られなくなった子はみんな、家に引きこもるしかありません。でももし、この子たちが寺院に行かれたら、本堂の静かな雰囲気のなかで自らをもう一回考えられるのではないか、ご本尊に触れてもう一回こころを洗い直し、生きる力を求めてくれるのではないかと。
 これはキリスト教の教会にもいえます。
 本物だからこそ残り続けて歴史を刻んできた宗教が、いま、子どもたちのこころのなかにいい影響を与え、また、子どものための居場所をつくってくれたらどんなにか助かるのにと、私はいつも思っています。

2. 「こころの時間」に合わせる

 時というものには、二種類あることはご存じですか。一つは時計が示す時で、客観的時間のことをいいます。これは、だれもとめることができない時間で、刻一刻一刻と過ぎていきます。
 この客観的時間とは別に、こころの時間、主観的な時間というものをわれわれはもっています。
 たとえば、私は全国で講演していますが、私の九〇分の講演がつまらないものであれば、講演を聞いている人は二時間にも三時間にも、人によっては四時間にも感じるかもしれません。しかし、聞いている人にとって意味のあるものであれば、九〇分という時間が、わずか数十分、数分と感じられるかもしれません。
 どうぞ思い出してください、愛するいまの妻、あるいは夫との最初のデートの日を。うれしくて、楽しくて一日がわずか数分に感じられたのではないでしょうか。そういう時間があります。
 この主観的な時間というものは、人や子どもによって一人ひとり違いますし、年齢によっても違います。
 たとえば、できる教員というのは、もし四〇人の生徒がいたとしたら、四〇の時間を見きわめられます。そして、どの子どものテンポにも合う部分を、六〇分とか五五分の授業のなかでつくりながら、全体を一つの時間にまとめることができる人です。
 講演も同じです。会場にいる人がもっている別々の時間をある意味で集約して、同じ時の流れをつくれるのが、ほんとうにいい講演だと私は思っています。
 しかし残念なことに、いまの教育は、子ども一人ひとりの時間に合わせていません。つまり、子どもの目の高さでの触れ合いができていないのではないでしょうか。私には、大人たちが自分の時間を、とくに客観的な時間を子どもたちに押しつけているだけのような気がします。

3. 落ちこぼれにさせられた子どもたち

 教育界、とくに高等学校教育界では、一九八四年から一九九三年までを「荒れた一〇年」と呼びます。一九八三年は、戦後三回目の少年犯罪多発期で警察庁より「第三次少年犯罪多発期」という宣言が出されました。
 ちなみに、戦後初の「第一次少年犯罪多発期」の宣言は一九五一年で、少年犯罪に関する専門家の間では「『貧しさ』ゆえの少年犯罪多発期」と呼ばれています。
 次の「第二次少年犯罪多発期」は一九六四年に宣言が出されましたが、私はこれを「『寂しさ』ゆえの少年犯罪多発期」と呼んでいます。
「第三次少年犯罪多発期」が宣言された一九八三年は、学校内での生徒による犯罪がもっとも多かった年で、唯一、二万件を超えました。全国各地で校内暴力、対教師暴力、器物損壊といって学校のものが大量に壊されたり、放火されたり、ガラスがたたき割られたりしました。とくに、中学校が荒れに荒れた年でした。私はすでに教員としての生活をスタートさせていましたが、連日のテレビや新聞でのマスコミ報道に、気持ちが暗くなっていたのを覚えています。そしてこの「第三次少年犯罪多発期」を「『落ちこぼれ』ゆえの少年犯罪多発期」と私は呼んでいます。
 思い出してみましょう。貧しかった戦後を乗り越え、一九六〇年代の高度経済成長期を経て、一九七五年ごろに日本は経済成長の安定期に入りました。一億総中流といわれる豊かな時代を迎えていました。
 あの当時に多くの親たちが学歴社会にとらわれ、教育第一、勉強重視となってしまったのです。わが子が高校・大学と受験戦争に勝って一流企業に就職すれば、わが子の将来は安定。自分たち親も安泰だ。教育、教育とだれもが叫んだ時期でした。塾産業が徹底して伸びたのも一九七五年ごろからです。
 では、みなさんにお聞きします。すべての子どもは勉強すればできるようになりますか。
 じつは教育界では、「七・五・三」という有名なことばがあります。「七・五・三」とは、小学校教育のなかですべての授業の内容を理解し拾得できる児童は全体の七割、中学校教育では全体の五割、高等学校教育では全体の三割しかいないという意味で使われます。つまり、高等学校教育では、七割の生徒が落ちこぼれてあたりまえ。中学校で五割の生徒、小学校で三割の児童が落ちこぼれてあたりまえということです。
 もともと高等学校教育というのは、一九五〇年代の中ごろ、大学卒業者がまだ数パーセントのころに、それを支える超高度の労働者を養成するためにつくられたカリキュラムです。たとえば、高校の全教科の問題集を解いてみてください。六〇点を平均点として、ほとんどの人が全科目六〇点なんてとれるわけはありません。できなくてあたりまえなのです。中学校だって、全科目の試験をやって六割以上とれますか。最近では小学校だってむずかしいのです。だから、子どもたちができなくてもあたりまえなのです。でも、世の中全体が、ともかく全員を高校に入れるんだという風潮になり、落ちこぼれる子どもたちが出てしまったのです。
 本来、教育というものは、一人の子どもにも落ちこぼれなどというレッテルを貼ることを許してはならなかったはずです。
 子どもの可能性は、無限だと私は考えています。それをどう伸ばしてやるかが、ほんとうの教育や子育てであるべきなのに、一九七〇年代後半、日本の教育界は方向を間違えて、偏差値重視、成績第一主義で子どもを評価するという方針に走ってしまいました。以来、学校教育が評価評定をつけるのは、一部分の体力、知識、技術、能力に対してです。しかし、この部分だけを見られて評価評定されてしまったら、子どもたちはつらすぎます。ある子どもは物をつくることが得意、ある子どもは歌を上手に歌える、ある子どもはお年寄りに対する優しさをもっているといった、子どもたち各人の個性がまったく評価されません。
 この落ちこぼれにさせられた子どもたちが、学校を中心として非行や犯罪を繰り広げたのが「第三次少年犯罪多発期」ということです。

4. 無限の可能性

 私の教員としての人生観が変わったのは、二四年ほど前に横浜のある養護学校、身体の不自由な子どもたちの学校に勤務したときからです。
 その前年に起きたある事件がもとで、身体の不自由な子どもたちの学校に異動になった私は、すっかり意気消沈していました。高校で授業をやるべく教員になったのに、同じ高校とはいえ、養護学校でやることといえば、手の訓練をしたり、おむつを替えて、うんちを漏らした子どものお尻を洗い、ごはんを食べさせればぱっと吐かれる。いわば、子どもたちの日常の介護がおもな仕事になります。こんな毎日に、私はうんざりしていました。
 そんな六月のある日、私は一人の子のお尻をシャワーで洗ってあげることになったのですが、仕事にやりがいや楽しみなどを見いだせませんから、すべてにいい加減です。シャワーが温かくなるのも確認しないで、冷たい水をお尻にかけてしまいました。すると、その子が「ぎゃあっ」といったのです。
 それを見ていた先輩教員が、私をバシッと殴っていいました「この子に何の罪がある。君に何をした。この子には君しかいないのに、そういうことをした。もう辞めろ。君には教員をやる資格はない」。本気でしかってくれたこの先輩教員は、いまも私の大切な親友です。
 このときにわかりました。教員というのは、こうしたい、ああしたいからと思って学校を選ぶものではなくて、生徒がいてはじめて教員になれる。その生徒のためにいい教員になることが、ほんとうの教員の道なのだと。そうか、俺にはこういう生徒がいたじゃないか、俺はいままで何をやっていたんだと深く反省しました。もうそれからの私は「小便がしびんにかかってるぞ」といえる、そんな教員になりました。
 この養護学校に、M君という子がいました。この子は重度重複という思い障害で、身体は車椅子から動けませんし、光の明るさもわからない、目の前で手を動かしても、何の反応もない子なのです。
 ところが、このM君には、ある感性がありました。養護学校では、重度の身体障害をもつ一三人の子どもたちを、男性二人と女性二人の四人の教員でみているのですが、やらなければならない仕事があふれてくると、イライラしてくることがあるわけです。教員四人の感情がぎくしゃくして、険悪な雰囲気になると、M君が「けけけけけ」と笑うのです。「あ、M君が笑ってるよ。俺たちのこと心配しているんだね。もうやめようよ、仲良くやろうよ」と自然に雰囲気がなごみました。
もし、この子に走ることを求めたら無理です、走れません。学ぶことや大学に行くことも求められないし、物をつくることもできないでしょう。でも、この子のもっている天性の才能というのは、まわりの人の気持ちを察することができる。察したら間髪を入れずに、喜びとか哀しみを私たちに出してくれるのです。この子が私たちのこころに優しさを教えてくれる、それだけでも十分な宇宙にたった一つの存在であり、彼の才能だと思います。
 私は、あのときに強く感じました、どんな子にも無限の可能性があることを。
 そして教育というのは、本来、根のないところや種がないところで、無理やり伸ばそうとすることではありません。その子が自ら自分の可能性はどこにあるのか、自分の明日への種はどこにあるのか、それに気づくまで待つことです。そしてその子が気づいてくれたら、まわりに人とのいい出会い、いい本との出会い、いい授業などといった栄養分をゆっくりゆっくり与えてあげる。子どもたち自らがそれを伸ばし、花咲かせることを助けることが教育なのです。

5. できなくてあたりまえ

 子どもたちのこころの成長にも、時間と余裕が必要です。子どもたちにはじっくりと考える時間が、親や大人にはそれを見守る余裕が必要です。
 子どもはとても不完全な存在です。子どもは大人の期待を裏切るし、できなくてあたりまえなのです。
 親や大人の考えを強制することなく、どうしたいのかを子どもたちに問いかけ、自ら選ばせる。時間がかかる、子どもが失敗するとわかっていても、とにかくやらせるのです。大人から見たら多少は危険なことだとわかっていても、子どもが自分で決めたのなら、やらせてみて、親や大人はそれを黙って見守っている。その代わりに、失敗してしまったら、その結果に自分で責任をとらせ、きちんと後始末つける方法を考えさせるのです。
 これを繰り返さない限り、自分でものを考え、ものを決定し、その行動に責任をもち、成し遂げるという、私たち大人が社会であたりまえに求められている能力、この考える力は身につかないのではないでしょうか。
 しかし、残念なことにいまの親や大人はそれをしていません。親や大人たちにゆとりがなさすぎるのです。子どもたちが一歩踏み出すことをサポートできている親が、いったいどれだけいるのでしょうか。
 いまの日本の子育てや教育には、これが欠けています。

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