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夜回り先生は、今!(水谷修ブログ)TOP

青森県黒石市に行ってきました

2017年4月22日

4月20日から、青森県黒石市に行ってきました。その日は、夜は、市民講演会、21日は、市内の二つの中学校で「いのちの講演会」をやってきました。
いい町です。昔の町並み、素晴らしい津軽独特の庭園、そして何より最高の温泉があります。
また、町の人たちも、髙樋市長、教育長をはじめ、素晴らしい人たちでした。良い出会いをたくさんいただきました。子どもたちも、素朴でまじめ、さすがに厳しい冬を過ごさなくてはならない津軽のこどもたちだなと感心しました。
料理もそばも、江戸時代から続く風情を残した美味しいものでした。
私は、日本各地を回りますが、京都や奈良をはじめ、古くからの建物や寺社仏閣を残している町はたくさんあります。でも、人のこころや食に、その香りを感じる町は、ほとんどありません。その意味でも、黒石市は素敵な町でした。私たち日本人が忘れつつある、古くからのものを、眼だけではなく、からだやこころで感じることができる貴重な町でした。
また、温泉は最高でした。落合温泉という市内の温泉街の旅館に宿泊しましたが、澄んでいてその一方で、重さを感じる素晴らしい湯でした。
来週は、火曜日のテレビ朝日出演後は、関西に行きます。また、多くの出会いがあるでしょう。

昨日は、授業と収録でした

2017年4月15日

昨日は、東京大学での授業と、テレビの収録でした。
東京大学での授業は、文科一類の学生に対して、年に一回すでに二十年続けています。年と共に、学生たちがまじめになっています。いいことなのか・・・。
テレビは、BS-TBSの「外国人記者は見たプラス」の収録でした。司会は、パックンと出水麻衣アナ、中国、ロシア、フランス、イギリス、ドイツの記者の人たちと、日本の教育について語り合いました。放送は、4月16日日曜日、22時から23時です。なかなかおもしろい経験をしました。
明日は、東京都調布市での講演です。やっと通常の生活に戻ってきました。私は、やはり走り回っている方が、働いている方が楽なようです。

さて、明日から通常の仕事に戻ります

2017年4月10日

不規則な仕事の続いた2週間が過ぎ、明日から通常の日々に戻ります。
この二日間は、春の風邪でつらい日々を過ごしましたが、もう大丈夫です。
明日の、テレビ朝日「ワイドスクランブル」、明後日の京都の大学での授業と、通常の生活に戻ります。やはり、緊張感を持って働いていないとだめなようです。
このところ新学期が始まり環境が変わり、新しい日々が始まったせいか、相談の数が激減しています。うれしいことです。ぜひ、最初は、背伸びや無理をせず、少しずつ仲間を作っていって下さい。
また、世界の情勢が、特に東アジアの情勢がとても不安定になっています。日本国内でも、森友学園の問題や、豊洲市場の問題、その他の多くの問題が、山積みになっています。どうぞ、ネットだけではなく、新聞やテレビで情報をきちんと集めて下さい。14日金曜日は、私の年に一回の東京大学での授業ですが、そのあたりをきちんと学生たちに話してこようと考えています。

報告が遅れました

2017年4月 5日

みなさんへの報告が遅れてしまいましたが、3月いっぱいで、TBS「白熱ライブ☆ビビット」を卒業いたしました。二年間、国分太一君や真矢ミキさんとともに、朝早く出演していました。いい経験でした。数多くのことを学びました。4月〜、テレビは、毎週火曜日のテレビ朝日「ワイドスクランブル」のみとなります。
今日は、久しぶりに一日オフです。家の庭の手入れをしています。クリスマスローズ、遅咲きの水仙、桜が満開、ツツジが咲き始めました。
冬に肥料を仕込み、手入れした小さな畑に何を植えようか悩んでいます。
ところで、私たちの国の教育が、どんどんおかしくなってきています。多分に、安倍首相とそのお仲間たちの影響です。何とかしなくてはと焦っています。今月は、ある番組で、外国人の新聞記者たちと、日本の教育について話し合う番組に出る予定があります。それまでに、きちんと整理しておこうと考えています。番組出演が決まれば、このホームページで告知いたします。ぜひ、多くの人に見て欲しいと思います。
来週からは、大学の授業が始まります。どんな学生たちとの出会いがあるのか、とても楽しみです。

栃木県那須茶臼岳高校生雪崩遭難事件について

2017年3月31日

私は、10代終わりにヨーロッパに留学しました。その時見たヨーロッパアルプスの美しさに惹かれ、登山を本格的に学びました。ヨーロッパでは、夏期のマッターホルン、夏期・冬期のダッハシュタインを登頂しました。特に、オーストリアのゴーザウにあるダッハシュタインは、私にとって青春のシンボル、聖なる山で、その後何度も登頂しています。20代に日本に戻ってからは、山岳会に所属し、20代は岩壁登攀を、30代からは単独山行をしていました。また、私の母校上智大学の山小屋が八ヶ岳にあり、その管理を手伝っていたことから、八ヶ岳は、夏期、冬期とも数え切れないぐらい登りました。厳冬期の赤岳、阿弥陀岳、硫黄岳、天狗岳、横岳、夏期もですが、そんな中、八ヶ岳の山小屋の主人たちと親しくなり、山岳ガイドの資格を取り、勤めていた高校の夏休みや冬休み、春休みは、八ヶ岳に常駐し、ガイドや遭難救助の手伝いをしていました。
1980年には、神奈川県の逗子開成高校の生徒と教員5名が、北アルプス唐松岳八方尾根で遭難しました。この生徒の中に、私の勤める横浜市の高校の仲間の息子さんがいたため、そのご遺体捜索には、私の当時参加していた山岳会の仲間と共に、何度も参加しました。この事件は、冬山の山岳経験のほとんどない未熟な教員が、生徒を引率し、八方尾根第三ケルンにベースキャンプを設置したあと、悪天候にもかかわらず、簡易テントや食料、燃料などの装備も身につけぬまま唐松岳を目指し、帰路道を見失い、岳沢側に降りてしまい遭難したという哀しい事件でした。最後のご遺体の発見までは長い月日を要しました。
八ヶ岳では、赤岳側、中岳コル付近での、高校生たちの集団滑落事件においても、尾根下でのご遺体回収に参加しました。アイゼンでの歩行やピッケルでの滑落停止になれない高校生たちを二班に分け、二列で、しかもほぼ並列で登っていたため、上部の生徒が滑落した際、下部の生徒の列のザイルを横切り、全員が滑落し死亡しました。登山のプロの目から見れば、あってはならない事故でした。
また、哀しいこともたくさんありました。私のザイルパートナーは、静岡県三つ峠で登攀訓練中、70メートル墜落し、亡くなりました。優秀なクライマーで、その年には、ヒマラヤ遠征を計画していましたが、ザイルで安全確保しないまま岩を下り墜ちました。防がなくてはいけない事故でした。私の山の恩師、私に登山のすべてを教えてくれた、日本でも有名や登山家は、仲間たちと4人で、黒部の下廊下で、ダムの放水によって流され、死亡しました。無許可登山でした。
私が、ここに長々と自分の登山の歴史を書いたのには理由があります。ほぼすべての山岳遭難は、防ぐことができたし、防がなくてはならないものだということを、多くのみなさんに知って欲しいからです。すべての山岳遭難には、遭難に至ってしまった理由があります。
今回の栃木県の事件では、まず一点。なぜ、最も山岳登山経験最も豊かだった指導教員が、現場にいず、近くの旅館にいたのか。山に安全な山は存在しません。いつも何らかの危険と隣り合わせています。だからこそ、最も山を知っている指導者は、現場で生徒たちを守らなくはならなかった。二点目は、ラッセルの訓練ならば、樹林帯の中で行えば、それで十分だった。樹林帯を出て、30度以上の平場の斜面下に出れば、この時期、降雪のあとは、いつ雪崩がおきても不思議はないほど危険ですし、その斜面を歩くこと自体が、雪崩を誘発する危険があることは、登山家にとって常識です。三点目は、なぜ山岳ガイドや地元の山岳会の人に指導を依頼しなかったのか。長野県の多くの中学校では、中学二年生を3000メートル級の山に、7月の終わりに登山させます。これは、長野県の伝統です。その際には、複数のガイドが、その登山の手伝いをします。私も、八ヶ岳天狗岳の中学生たちの登山ガイドを数え切れないぐらい手伝いました。夏山ですら生徒を山に連れて行くときは、これだけの細心の注意を払います。ましては冬山では。四点目は、指導した教員たちが、どれだけの山行実績、つまり登山経験があったかです。これについては、高校と教育委員会で速やかに調査、発表すべきです。どう見ても、今回のラッセル訓練の行った場所が、登山家の目から見たらおかしい。本当の新人、高校一年生を連れているのだから、下部のゲレンデ内で行っても十分だったはずです。五点目は、雪崩に遭遇した際に、「しゃがめ」としう指示があったということです。雪崩が起きたら、すぐに荷物を捨て、横か下部に一できるだけ逃げる。それが鉄則です。しゃがめば、そのまま雪崩の下敷きとなり、圧死してしまいます。
いずれにしても、今回の遭難は、事故ではなく事件です。
思い出せば、私が徹底的に山に登っていた30年前でも、神奈川県の高校山岳部の指導者で、名登山家と呼ばれるほどの経験や技術を持っている教員はほぼいませんでした。それだけの技術を持っている現役の教員は、山岳部の指導をするより、山岳会に所属し、遠征や岩壁への挑戦をしていました。
亡くなった生徒たちのためにも、一日も早く事実関係が明らかになることを望みます。