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夜回り先生は、今!(水谷修ブログ)日記 > ついに新しい本が出ました。

ついに新しい本が出ました。

2012年10月 3日

夜回り先生 いじめを断つ

夜回り先生 いじめを断つ」日本評論社、私の新しい本が、今日から搬出開始となりました。都市部では、明後日から、地方でも、日曜には、全国の書店に並びます。哀しいいじめ問題の根絶に向けて、書き抜いた、会心の一冊です。その、本の最初、はじめにをここに、紹介しておきます。ぜひ、呼んでみてください。子どもたちのいのちを守るためにも。

はじめに

 日本で、いじめ問題が、大きな社会問題として、はじめて捉えられたのは、1986年の「中野富士見中学いじめ自殺事件」でしょう。学校で日常的に暴力をふるわれていた中学二年生の生徒が、自死をしました。彼の残した遺書には、「このままじゃ生き地獄になっちゃうよ」と書かれていました。後に、学校の教室で「葬式ごっこ」まで行われており、それに、担任も含む四人の教員が荷担していたことが明らかになりました。さらに、担任ら教師による、生徒たちへの口止めなどの事件の隠蔽工作が明らかになり、関わった教員と校長が処分されました。

 私は、その当時、横浜市立高校の教員をしていましたが、クラスのホームルームや、担当する社会科の授業で、何度も、事件を報じた新聞等を資料に使いながら、生徒たちに、いじめ問題について語りました。いじめは、絶対に学校ではあってはならないことだと、生徒たちに教えました。このときに、いじめについて教室で熱く授業を展開した教員は、たくさんいたはずです。また、このときは、当時の文部省も、教育委員会も、警察も速やかに動きました。この当時、この事件に関わった諸機関の人たちや、保護者たち、日本の多くの教員のこころは、一つだったと思います。このような哀しい事件を二度と起こしてはならない。そのためにも、学校からいじめを根絶しよう。しかし、その想いは、実りませんでした。あの哀しい事件以来、枚挙仕切れないほどのいじめ事件が、我が国で発生し、毎年のように、尊い子どもたちのいのちが、失われています。

 学校は、小学校でも、中学校でも、高等学校でも、まず第一に学習の場であります。日々の授業を通して、子どもたちの明日を作るために必要な、知識や技術、体力を学んでもらう場であります。それと同時に、いずれ社会に出るために必要な、社会常識や作法を身につける場でもあります。また、親たちから子どもたちのいのちを預かる場でもあります。そうである以上、学校は、日本で一番子どもたちにとって、安全で笑顔があふれる、過ごしやすい場でなくてはなりません。その学校が、今や、子どもたちにとって、もっとも危険で過ごしにくい場となってしまっています。

 私は、いじめによって子どもを亡くした何人かの親たちと、ずっとともに行動しています。彼らは、子どもを亡くして何年経っても、自分を責めています。先生、「子どもからいじめの相談を受けたときに、頑張れ、戦えって言わなかったらあの子は、死ななくてすんだのに」、「先生、子どもが学校に行きたくないと哀しい目で私に言ったとき、そうしたら高校に進学できなくなるでしょと、無理矢理学校に行かせてしまった。あのとき、休ませてあげていたら」その話を聞くたびに、その学校の先生たちに怒りを感じてしまいます。「いったい、君たちは何をやっていたんだ」と。

 2011年10月11日、滋賀県大津市の中学二年生の男子生徒が、自死しました。校長や教員などの学校だけでなく、教育委員会まで、教育現場はあってはならない不適切な対応を続け、ついには、国や県、それどころか、警察やマスコミまで巻き込み、多くの国民がその動向に注視する事態にまで成っています。しかし、未だに、関係したすべての人たちから、この少年への謝罪のことばもないままにです。これは、あまりにもむごい事態です。なぜ、こんなことになってしまったのか。

 また、この事件に関しては、あるテレビ局のミスから、加害者とされている子どもたちの名前が、知られてしまい、その子どもたちの実名や家族についての個人情報、写真までが、ネット上にさらされてしまいました。その結果、その子どもたちの兄弟が、学校に通学できなくなったり、親が仕事を失ったり、離婚することになってしまいました。また、ある有名人は、怒りのあまり、事件とは全く関係のない人の情報を、きちんと確認しないままに加害者の関係者としてブログに書き込み、訴えられています。これらは、当然、大変な人権侵害であると同時に、いじめです。許されることではありません。テレビ局を含み、これに関わった人間は、その責任を問われ、罰せられる必要があります。

 私は、高等学校で二十二年間教員生活を送りました。私は、数多くのクラスの担任をし、また、生徒指導の担当として、多くの問題を抱える子どもたちと、ともに生きてきました。その教員生活を振り返り、誇ることのできることがあるとするならば、いじめによって、不登校になったり、こころを病んだり、あるいは自死を遂げてしまう生徒を一人も出さなかったことです。教員としては、当たり前のことですが。こんなことがありました。定時制高校で担任をしているときですが、ひ弱な一人の生徒が、暴走族の幹部をしている生徒にぱしりに使われていました。加害者の生徒を呼んで話をしましたが、彼は、こう答えました。「あいつは弱い。俺が守らなければ、他のクラスの奴らにいじめられる。だから俺が守ってやってる。俺に守ってもらっている以上、俺のために働くのは当たり前だろう」私は、彼にいいました。「わかった。君の言うとおりだろう。ところで、君は、担任の僕に守られている。君には、私のぱしりをやってもらおう」彼らは、なかなかの良い友だちになりました。今も彼らの関係は続いています。

 そんな私が、いじめの問題について、今報道で語られていたり、テレビで教育の専門家を自称する人たちが発言していることについて、大きな違和感を感じています。これは、マスコミに関してだけではありません。政府や県、市の、いじめに対する考え方や対処にも、強い違和感を感じています。何か、みんながいじめについて、何もその本質を知らないままに、動いている。そう感じています。

 私は、いじめは、この国から、この国のすべての教育現場である学校から、根絶することができると確信しています。そのためには、いじめとは、いったい何なのか、なぜ、いじめが発生するのか、それでは、日々、家庭や学校で、どう対処したら良いのか、それをきちんと考える必要があります。まさに、そのためにこの本を書きます。

 この本を読んで、多くの関係機関が、多くの先生たちが、多くの親たちが、何より多くの子どもたちが、いじめの根絶のために動いてくれることを祈ります。

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