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夜回り先生は、今!(水谷修ブログ)日記 > 薬物自己責任論について

薬物自己責任論について

2019年3月14日

ある俳優が、コカインの使用で逮捕されました。哀しいことです。
そんな中、薬物自己責任論を持ち出す人たちがいます。薬物乱用は、人からものを奪う行為でもなく、傷つける行為でもない。被害に遭うのは、自分だけ。この考え方です。
私は、この考え方、薬物自己責任論が、薬物乱用が広く広がる原因の一つだと考えています。

2003年に書いた、私の薬物自己責任論に対する批判を、もう一度多くの人たちに読んでほしいと考えます。一部数値等は、現在のものに書き換えておきます。

薬物責任論、この考えには、二つの大きな問題が潜んでいます。
 一つは、「薬物をやって困るのは、それを乱用した本人である。誰にも迷惑をかけるわけではないのだから、本人の自由だ」という誤解です。数十におよぶ中学校や高校で行なったアンケート調査でも、数%の生徒がこのように回答しています。本当にそうなのでしょうか。
 どのような薬物であっても、乱用を続けるためにはお金がかかります。そして、乱用者にとって、薬物を手に入れ使用することは命より大切なことです。手に入れたお金は、薬物を買うために右から左へと使われていきます。家庭をもっている乱用者は、必ずといってよいほど家庭を破壊しますし、青少年の場合は、両親を追いつめ、時にはこのお金のために犯罪や売春にはしります。
 私のもとには、一年に千件を超える薬物乱用についての相談があります。そのうちほぼ八割は、乱用者の家族からのものです。両親からの場合もありますし、夫や妻からの相談もあります。しかし、いずれの場合も、家族は精神的にも金銭的にも追いつめられ、苦しんでいます。私は、今まで一万人以上の薬物乱用者の更生に取り組んできました。しかし、残念ながらその中の五十六人を死によって失いました。そのうち三十一人が自殺です。彼らは、いずれも薬物の乱用をやめてから自殺しています。
 ある青年は、遺書にこう書きました。
 「先生、俺、もう生きれないよ。先生、薬やめたらすべてがわかった。シャブ代でサラ金から金を借り、親の生活をめちゃくちゃにし、たった一回のシャブ代のためにあいつをソープにつけた。もう、つらいんだ。俺なんて、生きていてもしょうがないんだ。もう、みんなにかけた苦労を考えると生きていけないんだ」
 二〇〇三年三月三日、私は、黒いネクタイと白いネクタイをつけました。この日は、私の勤める夜間高校の卒業式でした。しかし、そのめでたい日が、私の薬物との戦いにおける一〇人目の死者を送る人もなったのです。
 一九九八年に、私はある高校生と関わりました。この少年は、優しい母親と二人で暮らしていました。まじめで成績も優秀で、前途を期待される少年でした。ところが、高校一年の時に覚せい剤と出合ってしまいました。好奇心から手を出した覚せい剤が、彼の人生だけでなく、彼の母親の人生までも破滅へと追い込みました。最初は母親の財布からこっそりお金を盗んで覚せい剤を買っていた彼が、数カ月後には母親を脅し、暴力を振るってお金を奪うようになりました。そして、母親の前でも臆さず覚せい剤を乱用しました。
 途方に暮れた母親が私に相談してきました。私は母親を保護し、彼に薬物治療の専門病院に入院することを勧めました。しかし、覚せい剤を手に入れるお金欲しさに、彼は帰宅途中のサラリーマンを襲い、大けがを負わせて財布を奪いました。そして、彼は強盗傷害の罪で逮捕され、少年院に送致されました。
 その後、彼の母親からの連絡は絶え、私も彼の出院後に改めて彼と話し合おうと考えていました。ところが三月二日、彼の担当の保護司さんから「彼が、少年院を出てすぐに自殺した」と連絡がありました。保護司さんの話を聞いて、私は自分の至らなさに悲しくなりました。
 母親は、彼の逮捕後、息子が傷つけた被害者の方への賠償に日々苦しんでいたそうです。そして一九九九年の暮れに、生活苦から前途を悲観して、彼の出院を待たず自殺をしてしまったというのです。
 彼は出院後、自らの犯した過ちの大きさに耐えきれず、母親の後を追っていったのです。しかも、母親が三カ月前に首をつったその場所で自らの命を絶ちました。私が、この間に一度でも母親と連絡をとっていれば防ぐことのできた死でした。
 このように、薬物乱用は乱用者だけではなく、その愛する人たちも悲しみの底へと突き落とします。特に、その愛が強ければ強いほど、地獄の底へと落とし込んでいきます。
 次に二つ目の問題。一部の人たちから「薬物自己責任論」という形でよく言われることです。アルコールであれ覚せい剤であれ、薬物を乱用することはその本人の選択であって、その結果として依存症になろうと死のうと、それはその乱用者本人の責任であるという考え方です。
 この考え方、一般市民の間だけではなく、行政関係者や議員の間にも根強く残っています。そのため、薬物関係の医療機関や自助グループに対して差別が行なわれたりその補助を抑制されたりと、多くの問題が発生しています。しかし、本当にこれでよいのでしょうか。
 私の手許には、アルコールによる日本の社会的損失に関する報告書があります。これによれば、アルコールによる社会の損失は、交通事故、犯罪、急性アルコール中毒死などで、日本では、年間一〇兆円に及ぶとされています。
 また、アメリカでは「薬物乱用防止教育にかかる費用は、一人一ドルにすぎないが、乱用者の更生や治療にかかる費用は、乱用者一人当たり百万ドルに及ぶ」と言われています。このことからわかるとおり、薬物の問題は「乱用者個人の問題」と切り捨ててはおけない、私たち社会全体に関わる大きな脅威なのです。
 私は、アルコールであれどんな薬物であれ、その乱用が広まる背景には、その時代の社会が抱えるさまざまな矛盾や問題が大きく反映していると考えています。このことからも、「薬物自己責任論」を捨て、薬物は社会が抱える私たち全員に関わる問題であるという視点、つまり「薬物社会責任論」を、すべての人にもってもらいたいと願っています。

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